今の小学校では調べ物学習をさせられない




ちょっと前に小学校時代の同窓会がありまして。
小学校5、6年のときの恩師と再会し、「今の小学校ってどうなんですか?」と聞いたのです。
ところが、聞かされた今の6年生の話がショッキングだったというか、残念な気持ちになったというか。
と同時に、自分たちは恵まれてたんだなーと思ったのです。

子ども達の本質が変わった

「表面上は違うかもしれないけど、子どもというのはいつの時代も本質的には同じでは」なんて、
個人的には漠然と思っていたのですよ。
なんだかんだ言って素直だったり、未知のモノに好奇心を示したり、大人に甘えたり、そういう部分は変わらないと。
しかし、自分らが小学生の頃と比べると「本質的に違うと言わざるを得ない」と先生は言います。


一番にあるのが、とにかくとにかくとにかく、疲れている。
口癖は「疲れたー」「めんどくさい」「やりたくない」「まだ教わってない」。
朝のチャイムが鳴って教室に入らない子は昔からいたけど、今は廊下に「へたりこんでいる」。
人気の授業は図工と音楽。理由は「寝れるから」。
学級崩壊とも違ってて、とにかく無気力・無関心な雰囲気が漂っている。


学校の先生は授業を進めるにあたって、単に物事を教えるだけでなく、
授業に集中してもらえるように、やる気を高める工夫も仕事の1つだと思います。
しかし、話を聞いていると、子ども達に最初からセットされている「やる気メーター」が、
信じられないくらい低い数値からスタートしている印象。
その状況で授業をするのは、かなり厳しいなあというのが率直な感想。


「そうなってしまう理由は?」と聞くと、先生は1つじゃなくて、いくつもの原因があるようですね」と言います。
そもそも習い事が多すぎて疲弊してたり、食事の栄養バランスがよくなかったり、
テレビやゲームの影響、興味をひくエンターテイメントが多すぎる、夜遅くまで起きている、
複雑な家庭環境の子、教育に興味のない親が増えているなどなど。


あと、自分の事情を優先させる子が本当に増えたと。
「一致団結」とか「クラス一丸となって」みたいのは、ちょっともう、ないらしい。
確かに、いっつもそれじゃうっとおしいけど、みんなでやるのだって楽しいと思うんだけどなぁ。

だいぶ前から調べ物学習をさせられなくなった

「調べ物学習」というのは、例えば社会の授業なんかで、
「この1時間は自由にあげるので、鎌倉時代について疑問に思うことを図書室や資料室で調べてきて」というものです。
班行動になることが多いんだけど、教科書とかから自分たちが疑問に思うことを見つけ、
(例えば、この時代の人は何を食べていたんだろうとか)自分たちで調べに行き、まとめ、発表したりします。


先生の目が届かないところで活動してもらうので、ある程度「良い子」がクラスにいる必要があるし、
もちろん自主性だったり、協調性だったり、物事に興味を持って取り組む力だったり、
自分たちで問題を決定して解決する力だったりが必要になるのですが、
これがだいぶ前からできなくなってしまったと。
できない理由は「目の届かないところに行かせる危険性」「調べ物学習をさせても成果が見込めない」なんかで、
平たく言ってしまうと、コストとリターンが見合わないから諦めざるをえないというそうで。


「そうですかー、できないんですか…」と自分が言い、
「そうなんですよ。できないんですよ」と先生が言い。
ちょっと残念というか、今の子達がもったいないなというか。


先生はそういった子ども達の自主性に任せる授業が本当にうまかったんですよ。
グループ学習であったり、児童が先生役をやって授業を進めたり、
当時の自分たちは「オレ達、大人顔負けの主体性でやってる!すげぇだろ!」って思うぐらい。
今だからわかるけど、実際は綿密な教師の指導計画の上で踊ってただけなんですけどね。
それでも、おかげでたくさん良い経験ができてたと思う。


その先生の真骨頂が発揮できないのは、やっぱりちょっと寂しいなと。
あれを味わえない今の子達はもったいないよと。
まぁ、そう思っても、単なる先輩の後輩に対する成功体験の押しつけなのかもしれないんですけどね。

低学年、中学年、高学年の積み重ねがあって小学生は完成する

先生の話を聞いてて、1つハッとしたことがあったんですが、
「6年生の時にあれだけ自由な授業ができたのは、
 君たちが低学年、中学年のときに良い先生に恵まれていたから」と言われたのです。


小学校時代を振り返ると「1年生のときの先生は好きだったな、3年生のときはちょっと嫌いだったな」
なんて感じで、「点」として認識している部分があったりすると思います。
でも、それは違うんだと。


「君たちの場合、
 低学年のときのA先生が、自ら悪役に徹して善悪をちゃんと教えたでしょ。
 中学年のときのB先生は、自由に発想する面白さを教えてきたはずです。
 そういう積み重ねがあったから、高学年でさらに挑戦することができたんですよ」
という、教師サイドの「線」というか、計画(策略?)を聞かされて、なんか妙に感心してしまった。


「そういう役割をちゃんと理解している先生が多かったり、
 また、そういう『6年間かけて育てる』ことを意識して教師を配置できる校長がいる学校は、
 いい学校になりますよね」と言ってました。

生涯現役のかっこよさ

とまあ、昔は良かった・今の子はどうしようもない、みたいな論調で書いてしまったんですが、
もちろん同じぐらい、今の子の良いところを先生があげられていたことは付け加えておきます。
長くなってしまったので、ちょっと割愛。


学校事情も全国一律ではないと思います。
地域によって、首都圏でも都心か郊外かによって、それこそ、同じ市内でも学校によって事情は違うので、
だから、「これが今の子達なんだ!」と言いたいわけではないです。
もちろん、先生の指導力が落ちた可能性も十分にありますし。




問題はいつの時代もあることで。
ただ、最後に先生は、
「いやー、それでもやり方を探っていくうちに解決策が見つかったりして。
 子ども達から反応が返ってきたりするんですよ。
 そういうのがあるからねぇ、やっぱり、教師は面白いですよ」
と言うのです。自分たちの頃とは違うアプローチで成果を試みている。
きっと自分が一番影響受けたのは、こういう試行錯誤精神だろうなーと、しみじみ思った。


年齢的には教頭だったり、校長だったりになってもいいはずなのに、
「やっぱり現場が好きですから」と言って最前線に立つ先生は、かっけーなあーと思ったのです。
でもって、この先生のかっこよさが今の子達に伝わってなさそうなのが、
どうにも、もったいないなーと思うわけなのです。