さよならの話

とりとめもなく書くよ。絵はないよ。あと「ブログやめます」って話じゃないよ。
特に何かあったわけじゃないです。ここ数ヶ月、ずーっと思ってたこと。


このブログは、僕のブログなので、やっぱり僕の主張しか書けないです。
むしろ、せっかく書くなら僕の主張を書こうと思ってます。間違いだらけですが未熟者なのでしかたないです。
そして、正直なところ少しだけバイアスをかけてたり、ホントはそこまで思ってないけど強めて書いているときがあります。
それは、そうした方が伝わりやすいからです。
曖昧なニュアンスは挿絵の力を持ってしても伝わらないし、せっかくなら書くなら伝えたいと思うからです。




この数ヶ月、自分の考えのスタートラインを考えていました。
考え出すときの最初の立ち位置についてです。


いきなり暗い切り口で申し訳ないのですが、
自分の中には「人はいつか死ぬのだ」という思いがとても強くあります。
ブログにそこはかとなく哀愁感が漂っているとしたら(そうだとしたら、ちょっとテイストを考えないとな!)、
それを大前提に置いて話を書いているからかもしれません。


僕は死にます。そのうち。
もしかしたら来週死んでるかもしれません。今のところ健康ですが。
家族もいつか死にます。親父は僕より早く生まれているので、僕より早く死ぬでしょう。
友達もいつか死にます。自分の人生も30年近くになっているので、ここまで来ると「2、3年会ってない友達」ってのがザラにいます。
もしかしたら、次会うのが実は最後になるって友達もいるかもしれない。
もしかしたら、すでにもう2度と会うことのない友達もいるかもしれない。


自分にひどいことをしてきたあいつも、いつか死にます。
どうですか、「ざまあみろ」って思うでしょうか。
でも「ざまあみろ」って思う自分もいつか死ぬので、自分は「なんだかなあ」って思います。
好きで好きでしょうがなかったあの子もいつか死にます。
そう思うと、ちょっと寂しいです。
そう思うと、「とにかく幸せになってくれたらいいな」って思います。


いつか終わりが来ます。
楽しかった日々も、辛かった日々も、終わり方はさまざまだけど、いつか終わりがやってきます。
それはもう決まってるんです。
そしてきっと、あっという間に歳をとり、あっという間に死ぬんだと思います。
人によっては交通事故にあって、予想外のタイミングで終わりが来るかもしれません。




僕は死ぬのが怖いです。
怖くないって人もいるけど、僕は怖いです。
だったら、だからこそ「この命を使い切ってやる」って思います。
同時に、みんなにも使い切って欲しいと思うのです。


すると、
「いつか死ぬんだから、今を全力で生きよう」とか
「どうせ死ぬんだから、やりたい放題やった方がいいじゃないか」みたいなセリフが出てきます。
僕の考えも、一言で言い表すならそういうことになると思います。
でもそれは半分伝わってて、半分伝わってないような気がします。




スタートを「死ぬこと」という暗い話から始めてしまいましたが、あんまり暗い気持ちにはならずに読んで欲しいです。
きっと自分が強調したいのは「終わりが決まっている」ということなんだと思うんです。
さらに言うと「制限時間があるんだ」ということです。


受験なんかの試験を思い浮かべて欲しいのですが、制限時間が決まっていると妙な興奮があります。
大して意味もないのに時間短縮したくて瞬速で試験用紙をめくったりします。
いつもより集中していて、いつもより頭が冴えているあの感覚を味わったことが、誰しも一度はあると思います。
試験に良い思い出がない人はサッカーの試合とか、将棋の試合とか、別のことを思い浮かべてもいいです。


そんな感じで、制限時間が決まっていると、その中でなんとかしようと一生懸命になります。
しかも頭の中はアドレナリンが吹き出てて、どっちかっていうと「楽しいこと」です。興奮するようなことです。




あの感覚を、「今の日常」で持てないでしょうか。


平たく言うなら「自分の人生に集中しろ」ってことです。
自分しか生きられない自分の人生を、ハンドルちゃんと握って、前方確認して、しっかりアクセル踏もうよって話です。
走っていられる時間は決まっているからです。


あのさ、
他人の批判なんかしている場合じゃないですよ。
他人の間違いを指摘して、日頃のうっぷんを晴らしてなんて、いつまで続けるんだよ。
幸せな人が不幸になっていくのを笑ったって、自分は幸せにならないよ。
他人に比べて自分は正しいって主張したって、周りからしたら大して興味ないことだよ。
そんなことにお前の貴重な時間を使うなよ、もったいねぇよ。


自分にがっつり向き合う。
やりたいことはやる。全部やる。
好きなことは気の済むまでやる。
好きなことが見つからなかったら全力で探す。
会いたい人には会いに行く。憧れの人にも会いに行く。
なりたい自分にはなる。
欲しいモノは意地でももぎ取る。
「自分はなんでこんなに能力がないんだ…」って、たまには嘆いていいけれど、ほどほどにする。


もしかしたらそうやって邁進しているときに「時間切れでーす」って言われるかもしれない。
そしたら自分の場合、んー、「あちゃー、間に合わなかったかー。残念。」って笑うかな。たぶん。
一生懸命やって、間に合えば叶うし、間に合わなければ叶わない。
それはしょうがないことだと思ってるからです。




加えてもう1つ。
自分以外の他人のこと。これは「制限時間」ではなく純粋に「死ぬこと」につながる話。
やっぱり他人とはいつかは会えなくなるんです。


僕は「ありがとう」を言い損ねた人たちが何人もいます。
それをどうしても言いたくて会いたいと思うけど、きっともう会えないと思ってます。
いろいろ理由があってね。


イヤでイヤでしょうがなかった人も、会えなくなってからふと「もう少し別の言い方があったかな…」って思ったりします。
あれは自分に当たり散らしながら、ホントは何か辛い気持ちを訴えたかったのかなって考えたりします。


逆に一緒にいるのが楽しくて毎日連絡を取ってた人がいます。
「さすがに遊びすぎだろ」って当時は思ったけど、もっともっとふざけあえば良かったと今は思います。


だからと言って、腫れ物に触れるように人間関係を大事にしろって言いたいわけじゃないです。
目の前の人と一緒にいることに、そうなった機会から逃げないでって言いたいんです。
ケンカしたら、ごめんって言って仲直りする。
もうちょっと話したいと思ったら話したいって言う。
相手が嫌がっているように思えたら、そう思わないであろうギリギリの距離感を試行錯誤してみる。
嬉しいと思ったら嬉しいと言う。
ありがたいと思ったら、そのことをさりげなく、だけど必ず伝える。
せっかくの一緒の時間を、楽しくなるように心持ち努力する。


そんなことを言いたいのです。
だって僕達はいつか死んでしまうんです。
良い思い出を残して、さよならしたいじゃないですか。




あー、でも、待った。ここ勘違いしないでください。
だからって別に悲壮な決意で生きろって言ってるわけじゃないですよ。
「いつか死ぬのだから…!」なんて思いながら生きるなんてバカだかんね。おもしろすぎるからやるなよ。
「そうだな、制限時間ってあるよな」って思ったら、次の瞬間忘れて「のっぴょんぴょーん!」って叫んでください。
自分だってこんなこと毎日考えてるわけじゃないです。1年に1回、ぼんやり思うぐらい。


自分の毎日を楽しく過ごした方がいいし、夢中になった方がいいと思うんだって言いたいだけ。
人間関係も含めて積極的に楽しんだ方がいいと思うんだって言いたいだけ。


どうもブログは真面目モードに入ってしまってよくないね。普段こんなこと考えてないのに。
そもそも僕はいっつも脳天気に生きてて、そんな頭の中開いてみれば、
 「それにしても、ねぎとろ巻きはおいしいなぁ。あれはなんであんなにおいしいんだろう。
  毎日ねぎとろ巻きでもいいぐらいだ。おなかいっぱい食べてみたいなあ。
  いや、待てよ。それにしてもねぎとろ巻きはおいしいぞ」
ぐらいのことしか考えてないですよ。適当にもほどがありますね。




ちょっと「あなたの人生にそれは必要なことなのか?」と言いたくなることが多かったので書いてみた。
もっと自分を大切にしてください。