なぜロートルはゆとりを飲み会に誘うのか

この記事を読んでいて、1つ気になることがあった。
なぜこのロートルは、このゆとりを飲み会に誘ったのだろう。

「なぜ、ゆとり社員は俺の飲みの誘いを断るのか」問題 - ありふれた事件



結構いろんなバリエーションを考えてみたんだけど、おそらく、

「職場に馴染めず浮いてしまっている彼を心配して。あるいは成果が全然上がっていない彼を心配して」

なんじゃないかなと思った。


ちなみに、若手は仕事で成果をあげている気になっていても、
その実、周りが本人にバレないようにサポートをしてたり、
実は事後処理をやらかしていたとしても、
こっそりロートルが処理していたりするんだよねぇ。

東大生の恋愛事情のTV番組を見てモヤモヤした話

すっかりタイムリーではないけれど、
この前の日曜日にテレビでさんまが東大生40人を集めてトークするという番組をやっていて、途中から見ていた。
東大生にいろんな質問をぶつけ、ひな壇タレントも交えながら盛り上がるバラエティ番組だった。
さんまの東大方程式 - フジテレビ


そのうち、「東大生はモテない!」という話題になり、
その理由は勉強ばかりしていたから恋愛経験が無いとか、
マニュアルに頼ってしまうが、それじゃうまくいかないからとかだったのだけど、
トークが繰り広げられ、
そんな東大生が合コンをした、みたいな別撮りVTRが流されしているうちに
なんかモヤモヤしてきてしまった。


なんでモヤモヤしたのかって、突き詰めれば東大生が自分と重なるからなのだけど(ただし自分は東大生ではない)、
どういうところが引っかかるのかなーと数日考えてて、いくつか思い当たってきた。

東大生と芸能人の構図

東大生は恋愛が得意でない、と聞くやいなや、
鬼の首を取ったように芸能人が突っ込んでいく。
「メールすればいいんや」「ご飯誘えばいいんや、それが電話する理由や」と、
勉強面では負けていたが、恋愛面では全然勝てるぞと言わんばかりにいじっていく。
あげくの果てには合コンでうまく立ち回れない東大生を都度都度ダメだししていく。


まあ、単純に気持ち悪いよな、この構図と。
これが、例えば前段で、
勉強ができなかった芸能人を東大生がいじり倒していたのなら、そういう流れもわかるんだけど、
一方的なぶん殴り感がフェアじゃないなーと。

恋愛初心者のミスを笑う

恋愛なんて、誰しも恥ずかしい行動をしてしまったときはあるわけで。
そういうのもいつかは笑い話になったり、
仲間内では鉄板のネタになったりするんだろうけど、
慣れてないときに、そういうのを笑われるのって恥ずかしかったりする。


笑い声まで足されて、ミスを笑われている彼らが可哀想だった。
もしかしたら、笑いが取れておいしいって思っていたのかもしれないけど、
なんとなく自分に重ねてしまって、勝手にみじめな気持ちになっていた。

どうやったら恋人ができるかわからない

って、東大生は言っていたけど、「わかるわかるぞ」と。
自分はおっさんになって、あんまり恋愛うんぬんってこともないけれど、
昔は全くわからなくてもがいていたから、彼らの言葉はグサッと来る。
ね。わからんよね。オレも本当にわからなかった。


そんな思いもあるので、全然モテないって言ってた東大生が、
いずれ好きな人とうまくいくといいなあーーと、親心的な目線になってきて、
いやでもな、難しいんだよなー、うんうん、
素の自分で話せるようになるのが大変なんだよなー、
そしてそれに気づくと結構変わるんだけど、そこに気づくまで時間かかるんだよなー、
あー、あと他にもあれなー、みたいな感じで勝手に自分の過去を思い返してモヤモヤしてた。

芸能人と変わらない自分

と、それって親心っていうか先輩面だよね、
こうやって先輩目線で色々思って、言っちゃうのって、
さんまやひな壇タレントと何も変わらないじゃん、とハタと思った。
でもって、自分も先輩後輩、同僚、友達と飲む中で、
この東大生と芸能人みたいな構図で芸能人側やってたときあったんだろうなあ、と。
あちゃー、やってしまってたなーって苦笑いしてしまった。
芸能人の言動を見ていて、どうも色々引っかかるなと思ったけど、この要素があったんだな、なんて妙に納得してた。


すると、自分が恋愛の助言をした人の顔がいくつか浮かんできて、
あー、あんときは「ありがとうございます!おかげでスッキリしました」なんて言われて、
自分も謙遜しながらちょっといい気分になってたけど、
実際彼はどう思ってたのかな、話を切り上げたくてしょうがなかったのかな、とか思っちゃって、
しんみりしながらモヤモヤしていた。



相手の失敗談をいじって場を楽しませようとするのも、
相手の悩みを聞いて、良い方向に向かうように元気づけるのも、
極力、相手が傷つくような結果にならないように、
単なる自己満足にならないようにって、
意識的に思っているつもりではいるけど、実際はできてない場面も多いんだろうな。


と思いつつ、そこを恐れて踏み込まないコミュニケーションするのも違うしね。難しいね。
そういういろんな思いが交錯してモヤモヤしたな、という話でした。


最近、恋愛話って全然してないなー。
積極的にしたいって感じもなくなったし、おっさんになるのもちょっとつまらんな。

中途半端な人間だなあ

最近そんなことを思った。
自分は、物事始めても結局続かないという点で。


ブログも毎日書けないし、
そもそもイラスト全然描かなくなったし、
資格の勉強も続いていないなあ、
ジョギングもいつの間にかやめちゃったな、とかとか。


継続は力なりって言うけど、物事続けられる人ってすごいなぁと思う。
自分は続かない。続かないから上達しない。
続けていたら、うまくなって、さらに楽しくなったり、新しい世界が広がったりしたと思うんですよ。
でも、そうなる前に続かなくてやめている。
結局、これといった物が何もない、なんか中途半端な人間だな自分。と。


続かない理由を考えた時に思ったのは、
途中から周りの評価を求めだしているからなのかなと。
例としてブログとかわかりやすくて、
いっちばん最初は、自分の考えがまとまって文章にできた、ただそれだけで楽しい。
次にだんだん思い通りに書けるようになってきて、渾身のエントリーが書けた。それがもう楽しい。
街を歩いていてもネタを思いついちゃって、「次はあのことを書こう」なんて思う。
そんなことも楽しい。


でもいつか、アクセス数とか気にしだすでしょ。
ブクマがつくのが当たり前になると、その数を気にしだすでしょ。
「すごいブロガー」みたいなまとめ記事ができると、その中に自分も入りたいって思うでしょ。
有名人に取り上げられたい、雑誌のインタビュー受けたい、エッセイを寄稿したい、本を出版したい…。
もっともっとと「評価されたい欲」は強くなっていく。
もう、1番最初の「いい文章書きたい」はどこへやら。


けど、そんな簡単に評価って積み上げられないもので。
だんだん自分の「もっともっと」に現実が追いつかなくなるんですよね。
でもって他人の評価ってそのときそのときじゃないですか。常にもらえるわけでもない。
で、期待していた評価がもらえない、辛い、なんか飽きた、続かない、やらなくなる、はい中途半端。という流れ。
そんなんだなーと。わりとどれもこれも。


みんなはどうなんですかね。
最初はやるだけで楽しかったことが、ちょっとうまくなってきて自画自賛しているうちに、
自慢したり褒められたりしたいなって気持ちがわいてきて、
次第にそのウエイトが大きくなってって、
だんだん、やたら他人からの評価を気にしてしまってる、みたいなことってあるんですかね。
おとなしくモノゴトの上達に集中していればもっと伸びるのに、
周りばっか気にするせいでうまくいかなくなっちゃう、みたいな。


まあ、人からの賞賛とか反応とか、場合によっては叱咤がさらなる上達へのモチベーションになることもあるんだろうけど、
なんていうんですかねえ、
とりあえず他人の目を気にするような「邪念にとらわれるような性格」がなければ、
そうそう、邪念、邪念。
そしたら、もっとモノゴトに真摯に取り組めて、コツコツ継続して、その分上達して、
場合によっちゃ「その道の第一人者」にまでなれちゃったりして、
中途半端な人間にはならずに済んだのかなあ、と。
そんなこと、ぼんやり思うんですよね。

君の生きる小さな世界

例えば私はお金持ちになりたい。
どのぐらいかというと、資産10億円の金持ちになりたいと思っていた。


しかし、零細企業の社員の子どもである私には、どうやったらなれるかわからない。
とりあえず何か成すためには種銭がいる。
ビジネススキルもあった方がいいし、人脈もあった方がいい。
よし、じゃあまずは就職して上を目指していこう。


それから10年。
年収950万円。
1000万円が見えてきた。
さらに他社からもっと好条件で転職の誘いもある。
一気に1200万、いや1500万までいけたりするかもしれない。
これまで遅くまで働き、土日は休日返上で勉強をしてきたかいがあったものだ。
これを続けていけばもっと年収はあがる。続けていけばいずれ……あれ?


「そのとき、あれ、って思ったんだ」
日本酒をクイッと飲みながら彼は言う。
「オレ、お金持ちになりたかったのに、このままじゃきっと届かないって」
そして頬杖をついてぼんやりと言う。
「でも、10年。10年だ。ずっと会社の中で上を目指すことばっかりやってたから、
 いつの間にか年収を増やすことばかり考えていて、それが当たり前で、
 このまま定年までこの世界で生き続けるんだって無意識に思っていたんだ」


これから起業するのか、投資を始めるのか、はたまたそれ以外の方法があるのか、
いろいろ考えているそうだ。
ただ、そんなことを考えている中でしみじみ思うのは、
会社の中で、人に認められよう、誰よりも優れていると思われるように頑張ろう、
として戦ってきた場所が、ふっと、とても小さな世界のように思えてきたことなのだという。


なぜなら十分な貯金と人脈ができた彼にとって、
既に収入を増やす努力は不要となり、
会社員として生きていく、という生き方から意識的に卒業してしまったからなのだろう。


「今までが無駄だったとか、そういう話ではなくて。
 ただ、1週間前、1ヶ月前には自分の全精力を傾けていた場所が、
 一歩離れてみるだけで、とてもちっぽけなものに見えるようになることもあるんだなと。
 そういうのって、よくある話なのかもしれないけど、
 自分にとって大半を占めていたものですら、そうなることがあるってのが、地味に衝撃でね」


彼は言う。
「お前の全てのように思えているその毎日は、実は小さな世界だったりしないかい?」と。
その中にはルールだったり、勝ち負けだったりあって、のたうち回っているかもしれないけど、
いつの間にか迷い込み、染まってしまった、だけど小さな世界なのかもしれないよ、と。


どうだろうか。
「まあ、人生は一度きり。そして短い。自分の毎日を見誤らないようにしたいよな」
と得意気に言った彼にはちょっとイラッとしつつ、
私の生きる小さな世界に思いを馳せていた。


そんな話。

どんな50代を目指している?

「これまで、ちゃんと仕事もしているし成果に対しても評価している」


はあ。


「ただ、今後同じような仕事をしていても評価があがっていくことはないから、意識を変えてがんばらないとな」


はあ。


「今までと違ってマネージメント面が評価されてくるし、より数字に対して責任も出てくる」


はあ。


「さらに成長するために、君はどんなキャリアプランを描いているんだ?」


キャリアプラン、ですか…。



ここ数年、会社の面談で
「マネージャーになれるように」
「チームを引っ張る立場になれるように」なんてことを言われるようになった。


「能力が認められて」と言いたいところだけど、
単に歳取って中堅になっただけなのである。
「なれるように」と言われているだけで、なっているわけではない。
「ならない」とこっから先は無いよ、と言われているとも言える。


会議室を出て、缶コーヒー買って、ビルの非常階段に出て、
ものすっごい遠い目をしながら、
キャリアプランねぇ…」と考える。


「…てなことがあった、切ない1日だったっていうのに、
 なんで男のお前とサシで飲まなきゃいけないんだ!」
と、ひとしきり今日あった出来事を語った後で、いきなりキレる友人。


飲もうって誘ってきたのはお前だろうに。

そんなの考えたことないよね

友人の言い分はよくわかる。


キャリアプランキャリアパスって言われても全然考えたことないよね。
たまにいるじゃないですか。
20代は一流企業で、30になったら起業するとか、
海外のシリコンバレーで働くんだとか、
証券会社のディーラーで億単位のお金稼いで、40過ぎたらリタイアするとか。


自分はそんなすごい人間になれるなんて思ってないからさ、
目の前の仕事を、もっとうまく、もっとちゃんとできるようにがんばってて、
数人のチームのリーダーとして任されるようになって、ってぐらいまでは考えてて、
まあ、それっぽいのにはなってるんだけど、そっから先って考えてなかったからさ、
いきなり「キャリアプラン」って言われても、ズバッと言えねえよ、と友人。


心配するな。オレもだ。

50歳の自分を思い描く

仕事でもなんでもそうなんだけど、実際にそうなっている姿を決めてさ、
そっから逆算してやると迷わないじゃん?
例えば50歳になっている自分を思い浮かべたときに、どうなっているか、
もしくは、どうなりたいと思うよ?


と、それっぽいことを言ったら、ひとしきり悩んだあと、
「現実的すぎるかもしれないけど、支店長ぐらいにはなってたい。あと年に何回かは海外旅行に行けるようになりたい」
と言う友達。
そのために逆算するとどうしたらいい?なんて、したり顔で言ってたら、
次から次へとイメージがわいてきてらしく、
「ああすればいい」「こうすればいい」とまくし立て、
しまいには「今日はお前とサシで飲んでよかったわー」と言われたりしたのでした。


答えが見つかったら何よりだ。

50歳の自分が見えない

帰り道、自分が50になった姿を思い浮かべる。
彼と違って、正直、自分は全然イメージができない。
会社的なキャリアパスを考えるなら、部長とかが目標として妥当なラインかなぁ。
社長って気はしないし、課長や係長でもいいけど、目指すならもうちょい上ってことで。


欲しい物はあんまりない。
家は住めればいいし、休日の暇つぶしができるぐらいの趣味があればいい。
おいしいものは好きだけど、別に高くなくていい。
家族は…いるのかどうかわからない。一人かもしれない。


今の仕事を積み重ねて、それなりのポジションを得たとする。
毎日同じ職場にいって、たくさんの部下がいて、会議もびっしりあって、
帰りは相変わらず飲み歩いて、最近始めた趣味の話を得意げにしちゃったりして、
そんな毎日。
そんな50歳に自分はなっているんだろうか。
そうなるために、今がんばっているんだろうか。


気づいたら、こんな歳になってた、っていうのはやめたいと思う。
自分はどんな50代になりたいんだろう。
そのために、今は何をするべきなんだろう。
どんなキャリアを積んだら、なりたい50歳になれるんだろう。

なぜ、はてなから「非モテ」の話題が消えたのか


はてなブックマークを毎日見ているけれど、何年か前の頃のように、
非モテについてのエントリーが散発的に上がる光景をとんと見なくなった。
もしかしたら自分が追えてないだけなのかもしれないけれど、
その理由を考えてみた。


1.非モテだった人に恋人ができ、非モテを卒業した
2.非モテ達の中で、非モテへの関心のプライオリティが下がった
3.非モテを気にしない若者が増えた

1.非モテだった人に恋人ができ、非モテを卒業した

そりゃまあ、何年かすりゃ、結婚する人もいるし、恋人できる人もいることでしょう。
あいつとか、あいつとか、あの人とか。
非モテを語る人たちが減るのだから、当然あがるエントリーも減る。
結局、非モテなんて時間が解決してくれる話だったのかもしれませんね。

2.非モテ達の中で、非モテへの関心のプライオリティが下がった

いやいや、何年かしたって、勝手に結婚できたり、恋人ができるわけもないでしょう。
空から女の子が降ってくるわけでもあるまいし、現役非モテーもたくさんいるはずで。
とはいえ、語ることに対してモチベーションを維持し続けるのも大変だったりします。


まあ、何十回と同じ話題を話していれば、いい加減飽きるし、
なんかもう、だんだん自分の中で折り合いついて、気持ちの整理できちゃったし、
たまに飲み会で「恋人いるの?」「ご結婚されてるんですか?」と突っ込まれたときに、
「いやー、そういうの全然ないんですよ。ははは」とお茶を濁して、その時だけ心を痛めることにも慣れちゃえば、
それなりにはやっていけるしさ。


そんなことより、日本は不況で、会社の業績も自分の収入も下がってて、
スキル身につけなきゃ!英語覚えなきゃ!って方が重要で、
非モテうんぬん言ってる場合じゃねえ!」と、
他にやるべきことができたせいで、プライオリティが下がっていたりするんじゃないだろうか。
結局、非モテなんて裕福な時代の贅沢な話だったのかもしれませんね。

3.非モテを気にしない若者が増えた

だがしかし、次から次へと非モテを語る若者が参入すれば、業界は活性化するはず。
だけれども、どの世代にも一定層はいるはずなのに、エントリーがあがることもなく、
最近の若者(20歳前後)はいったい何を考えているのだろう?とおっさんは思うのです。


「少女漫画脳だから恋愛に興味が持てない」(あるいは神風怪盗ジャンヌの背中) - インターネットもぐもぐ
ちょっと前に話題になったこの記事を読んでたときに、
そういや似たようなことを言われたことがあると思いだした。
20代前半のその人は「恋愛は自分には別世界の話だと思っている」と語り、
見た目も、性格も、コミュニケーションもちゃんとしているのに、
そういう風に思うに至っていることに、少し驚いたのを覚えている。


相変わらずネットでは、
リア充爆発しろ」とか「ただしイケメンに限る」といった言葉があふれているけれど、
何年か前は、苛立ちやドス黒い感情とともに打ち込まれていたワードが、
今では、単なるネタの1つに落ち着き、
若者たちは、特に痛みを深く感じることもなくコメントしてたりするのかなと思ったりする。
なぜなら恋愛なんて、自分とは「別世界」の出来事なんだから。

    • -


非モテってのは、「悔しさ」だったなあ、と今改めて思う。
ファッションだったり、トークだったり、
モテに必要なスキルが自分には足りない。
それ以外なら(例えば勉強ができるとか、相手をいたわる優しさとか)だったら自信あるのに、
なぜ、一部のスキルがないだけで、たったそれだけの理由で、
モテてる人たちが味わっている「いい思い」を、自分が味わうことができないんだ、という。


裏を返すと「自分にだって味わうことができるはずだ」という思いがある。
あるいは問題と感じてて「クリアできるならどうにかしたいよ」という思いがある。
そういう、ひりつくような思いが表現されなくなったということは、
新旧問わず全ての世代にとって、関係ある人と関係ない人に分断され、
結果、語られないネタになった、そういう世の中になったってことなのかもな、と思う。
少なくとも、はてなでは。



ところで、今って「非モテ」って言って通じるんですかね。そもそも。

うまくいかなかったことは、うまくいかなくてよかったのかもしれない

がんばったけど、うまくいかなかったこと、
例えば、めっちゃアタックしてた人と、ついに付き合うことができなかったり、
例えば、最終面接まで行った会社に転職できなかったり。


うまくいかないのだから、当然悔しいのだけど、
結果、うまくいかなくてよかったのかもなあ、と
最近思うようになった。


改めて冷静になって、その人と自分を考えた時に、
「いやー、これは付き合ったとしても続かなかっただろうな」とか、
行きたかった会社の内情をひょんなことから見れた時に、
「いやー、これは入社しても合わなくて続かなかっただろうな」とか、
そんなことを思うことがよくあって。


しょっぱなからうまくいかないというのは、
それなりの理由があるのだから、
そこをくぐり抜けても、
「それなりの理由の正体」が待ち構えているわけで。


うまくいかなかったことは、うまくいかなくてよかったのかもしれない。
負け惜しみでも、皮肉でもなく。
すべてがすべて、自分に合うことばかりじゃない。