いくつになっても人は変われると思う

10代〜20歳前後ぐらいって、すごく人の成長がわかりやすい時期だとは思うんですが、
社会人ぐらいなると「人が成長する」ってことを忘れてしまうときがあります。
他人を見て、すでに完成されているというか、成長が終わったというか、キャラができあがっているというか。
そんな意識が無意識のうちにあったりします。


例えば隣の席で仕事をしている山岸君は、30になっても40になっても、今の性格なんだろなと無意識に思ってる。
というか、そんな先の彼の人生まで想像することもなくて、
「山岸君は、仕事が早くて、だけどちょっと雑で、明るい性格で、新しいことに挑戦するのが苦手な人。以上」
みたいな「今ある姿が全て」のような感覚ってあると思います。
プログラム言語で言うなら定数(public static final)のような。


ただ最近、
昔は絶対に意見を曲げようとしなかった人が、チームワークみたいのを大事にしようとしてたりとか、
前は人に頼ってばかりで、1人で何かをするということを恐れてた人が、率先してリーダーになってみんなを引っ張ってたりとか、
そういう瞬間を見て「あー、そういえばこの人変わったなぁ」という場面に出会うことがあります。


で、面白いのは、「ふと」気づくんですよね。
打ち合わせに出て、話をしている彼を見て、
「そういや最近何気なく聞いてたけど、もともとこういうことをできる人じゃなかったよな」みたいな感じで。
いっつも一緒にいる人なんかは特に変化を察知しづらいけど、やっぱり徐々に人って変わってて、
3年ぐらい前の彼を思い浮かべると、「あー、成長したなぁ。すごいなぁ」とか思ったりします。

今がその人の全てではない

そんな感じで「大人になっても人は成長できるんだな」って、
ある意味当たり前の事なんですが、そのことに気づいたんです。腑に落ちたというか。
そうすると、「人は変わっていくという要素がある」ってことをすごく意識するようになって。
隣の席の山岸君も、今日営業先で出会った渡辺さんも、いっつも自販機を補充してくれるキリンビバレッジの人も、
会社の近くにあるコンビニの店長も、しょっちゅう飲んでる北見君も、きっとこの先変わっていくんだな、と。


だから嫌な人とか、落ち込んでいる人とか見ても、「今、この時点ではこうなんだろな」って思うんですよ。
半年後でもいいし、3年後でもいいけど、きっとその人は変わっていると思うんです。
なので、今の印象だけでその人を評価したくない。なんていうか、長い目でその人を見たくなる。
まあ、「今の印象で評価したくない」っていうか、できないですよね。
その人は、これからも変わっていくわけだし、その余地というか可能性も含めてその人だと思うから。


そう思うと、カチンと来ることを言われても、頑なに自分の意見を曲げない人を見ても、
なんとなく笑って流せるようになってきた。
もちろん、頑ななのは悪い事じゃないけど、頑なさを押し通す柔軟性って必要だから、
彼はいろいろとぶつかりながら、「いつか、相手を不快にさせない言い方をするようになるのかなー」とか思ったりします。

自分もきっと変わったと思う

ところで、自分も変わったのかな?とか考えてみると、やっぱり5年前の自分とは全然違うなーと思う。
ときどき姉御から「話してて『話聞くのうまいなぁ』って思う」とか言ってもらえるんだけど、
20代前半のオレだったら絶対言ってもらえなかったことだったろうなと思う。
当時は「相手の話をちゃんと聞く」っていう発想の無くて、
いや、理屈はわかってたんだけど、その大事さを心から理解はしてなくて、
何年か生きているうちに、失敗したり、へこまされたりしてそして考えられるようになったことだから。


じゃあー、むちゃむちゃ聞き上手かっていうと、全然そんなことないんですけどね(笑)
そもそも姉御の方が聞き上手だし。
むしろ姉御のそのセリフの方が、聞き上手褒め上手。




何が言いたいって、その、「人の性格はなかなか変わらないよ」って言うじゃないですか。
そうだとは思うんです。
でも「人はいくつになっても変われる」とも思うんですよ。
一気に変わらないから気づかないけど、長い目で見たらやっぱり変わっている。


で、そういう「変化できるんだ」って可能性を、他人にも自分にも思えると、
今の至らなさというか不器用さも、なんだか許せる気がしてくるんです。