表現する人であり続けること

ここのところ、バイオリン演奏者の友達のコンサートやら、演劇やっている友達の本番やらが立て続けにあって、
舞台上で一生懸命表現する友達を見ながら「やっぱり舞台に立てる人はいいなぁ」と思ってました。


大学の頃、いわゆる大学サークル演劇をやってて、
そのツテのせいで、いろんな友達や先輩、後輩がいるのです。
役者やっている人もいれば、作詞家の人もいるし、脚本書いている人もいるし、
バイオリン奏者、歌っている人、写真家、演出家、宝塚でスタッフやっている人などなど、
本人達に言わせれば「人の道を外れた、アウトローな人生」を送っている知り合いが多いのです。


そう言いながらもちゃんと実績を上げてるもんだから、
コンビニに入ったときに流れている有線から友達が作った曲が流れてたり、
ぴあって雑誌に大きな写真入りで次回公演の情報が載ってたりしてて、
そういうのに触れると「おー、やってんなあ」とか思ったりします。




そういう人たちを見ると「自由でいいなぁ」と思うかもしれないけど、
彼らほど制約と戦っている人はいないと思うんです。


生活が苦しいのは誰もが想像できると思います。先の見えない将来への恐怖は半端ないそうです。
もちろん練習も必要だし、自分が納得いくものを出せない苦しみみたいのもあります。
実は一番大変なのは人間関係や利権関係だそうで、脚本家やっている友達に言わせると、
スポンサーや制作元から「このストーリー展開はダメ、こういうのもダメ、だけど数字は取れ」と制約をかけられることなんて日常茶飯事で、
「どないせいっちゅうねん」って言いたくなることばかりだそうです。


そういうものを抱えて、それで成果を出しているんだから、すごいなぁ、かっこいいなぁと思います。
本人達にしてみれば「裏側なんか気にせず、表現したモノだけを見てくれ」って苦笑されそうだけど、
才能うんぬんの前に、そんな毎日を送りながら「表現者であり続ける」という生き方に尊敬してしまう。




昔から個人的に(ていうか誰もがそうなのかもしれないけど)、
「これが私の仕事です」と表現できる立場、
いわゆるクリエイターやアーティスト、エンターテイナーみたいなポジションに憧れがあったりします。
でもって、「週末は恋人とデート」とか「夏休みは奥さんや子どもと旅行へ」みたいな穏やかな暮らしもいいと思うけど、
やっぱりどこかで「ダメかもしれないけど一流の役者を目指すのに賭ける」みたいな裏街道まっしぐらな生き方の方に心惹かれたりします。


最近、いろんな発表会を見てたせいかもしれないけど、いいなぁ、いいなぁってしみじみ思う。
今の生活をすべて捨てることはできないし、自分なりにいろいろやってダメだったこともあって、結果、たどり着いた今の環境なんだけど、
あっち側に行きたいなーという思いは捨てきれない。
なんか、今の自分にできることってないかなぁって思っちゃうねぇ。うーん。


オレはバイオリンとかクラシックに詳しいわけじゃないけど、
何度か友達の発表会に行っているうちに、「前よりも上手くなってる気がする」と思ったりして、
そういうのって、すげぇまぶしいし、
だからオレも、人に誇れる何かを生み出せる人に、やっぱりどうしてもなりたいなあと思うんです。