お詫びと、ここ2週間悩んでいたことについて

久しぶりのエントリーなのに、しんみりした話で申し訳ないです。


現実世界で幸せになれる人と、それが無理な人。そういう人のためのネット世界はアリなんじゃないか。
以前書いたこの文章で、多くの方に不快な思いをさせてしまいました。
ニュアンスが伝わらなかったというのもありますが、
自分自身、何度か読み返してみて、意図したことと違う受け取り方をされてもしかたなかったと思いました。
すみませんでした。
箇条書きということで言葉足らずだったということはありますが、
おそらく「幸せ」という表現が良くなかったのだと思います。


ここでの「幸せ」は、
勝ち組・負け組人生」「定職があって家があって、帰れば団らんがある」といった、
その人の生きている毎日を決定づけてしまうような、話の大きなものではなく、
「あたたかいココアを飲んだらホッとする」「お風呂に入ったら幸せだなーって思う」といった、
満たされた気分、だけど瞬間的なもの、というニュアンスで使っていました。






話の流れはこうです。
インターネットの世界はとても面白いし、心地いい面があります。
だからといって、引きこもってネットばかりしたり、
もしくは、ネット上で色んな人と出会えることに喜びを感じ、普段の生活で積極的に人間関係を作っていこうとしないのは、
やっぱりどうかな、と思っています。
どんなにネットにアクセスしている時間が自分の人生で増えたとしても、
リアルなコミュニケーションや、現実世界での足場作りをないがしろにすべきではないと思うからです。


わかりやすく言えば「ネットで本音が言えるからリアルの友達には言おうとしなくていいや」とか、
「会社での評価なんてどうでもいい、家に帰れば何十万もアクセスのあるブログをやってるんだから」みたいのは、
違いませんか、という意味です。
困ったことがあれば、遠くのメル友よりも近くの友達に相談した方がいいと思うのです。


ですが、現実世界に生きている誰もが、同じように同じものを持ち合わせているわけではありません。
不遇にも、悩み事があっても相談できる相手がいなかったり、そういうことを言えない環境だったり、
あるいは人とのコミュニケーションが大の苦手で、絶対にできない、という人もいます。


悩みを話せる友達がいる人は、話を聞いてもらえた帰り道、楽しい気分で帰れます。そういうときは幸せです。
じゃあ、話す相手がいない人はどうしたらいいのか。
今まで友達を作る努力をしてこなかったんだから「自業自得だ、1人で悶々と抱えろよ」と言われるかもしれないけど、
それも少し酷だと思うのです。




そういうときにネットがあってもいいよね、という話です。
今、持ち合わせていないものが、ネット上のコミュニケーションやWebサービスで代替が可能なら、
消化できない気持ちとか、満たされない思いとかが報われてもいいんじゃないかと思うのです。
そこに「自分はネットで言うしかない人間なんだ」みたいな、妙な後ろめたさはいらないと思うんです。


繰り返しますが、不遇なときって、どうしてもあります。
言いたいときに言う相手がいない、
いつもは話を聞いてくれる人が今はテンパってるのでさすがに言えない、みたいなことは往々にしてあります。
毎日に不満はないのだけど、なぜか虚しいときもあります。
そういう期間が長い人もいれば短い人もいます。
でも落ち込み続けて生きるのは大変だから、さっさとスッキリできるならネットがその役割を担ってもいいと思うのです。


自分は「楽しいWebサービス」を考えるのが好きですが、
一方で、そんなやりきれない思いを抱えている人達が楽になれるような、
セーフティネット的なWebサービスは作れないかと、よく考えたりもしています。
2ちゃんだったり、ブログだったりが、そんな役割を引き受けている側面はあるけど、何か違う方法はないかと考えます。
辛くなったらそこに来て、元気になれたらまたがんばればいいと思う。


目が悪い人がメガネをかけるように、
または若白髪で困っている人が毎月家で髪を染めて、それから外に出かけるように、
その人は他の人と違って、たまたま持っていないだけで満たされないものを、
ネットで補えればいいなと思うんですよ、という、
そんな話をしてました。


例えば僕の友達に絵を描く人はいないです。
だから話は聞いてもらえるかもしれないけど、絵を描く楽しさや悩みを分かち合うことはちょっと難しいです。
あと、知り合いに自分の絵を見せるのはやっぱり恥ずかしかったりします。
そういう意味では、こと絵に関しては僕は幸せになれないです。
でも、Web上に日記を公開することで「絵柄が好きです」と言ってもらえることもあって、ネットの世界では幸せになれてます。


「幸せ」は、そういう意味なんです。






いつものようにエントリーを書こうと思ったけれど、どうしても引っかかりが取れなくて書けなくて、
気がつけば少し期間が空いてしまいました。
ちょっとだけ悩んでた話を続けます。


ブログをやっていて一番キツイのは、叩かれることやネガコメを言われることではなかったりします。
自分は、そういうことを言ってくれる人のために、ちゃんとその人に向けた言葉を用意できるにもかかわらず、
言うこと(書くこと)ができない事の方が、よっぽどキツかったりします。
なぜ書けないかと言われれば、ネットならではの「情報発信のクセ」があり、それを気にしてしまうからです。




直接のコミュニケーションであれば、誰でも相手を見て言葉や態度を選ぶと思います。
この人は順序立てて言った方がわかってくれるから、そうしようとか、
この人は周りから口出しされるとイライラする人だから、調子良さそうならほっとこうとか、
誰に対しても同じ態度のことはないかと思います。


他の例で言うなら、
10代の人が「芸能人になりたいんです!」と言えば、すぐさま「おう、がんばれ!」って言うけれど、
40代で奥さんも子供もいる人が「芸能人になりたい!」と言えば、
素直に「おう、がんばれ!」とは言えなくなる。「ちょっと、じっくり話そうよ」ってなる。
誰に対しても同じことは言えるかというと、やっぱりそういうことはないと思います。


男友達の片想いがうまくいくようにと、「気持ちを伝えないと!」「諦めない方がいいと思う!」と励ますけれど、
相手の女の子にその気がないことや、むしろ嫌がっていることを知ってしまえば、
「難しいと思うよ…」って話をするしかない。
自分はあんまり引き出しがないので「代わりにオレの女友達紹介するよ!」なんて言えず、
そういうときは飲みに誘って「そかー、そんなに好きだったんだなー」って、気持ちが済むまで話を聞くしかないんだけど。
もし、「お前はあのときがんばれって言ったじゃないか!」って責められたら、「ごめんね」って謝るしかないけれど。




人によって、状況によって、言えることは違ってきます。
ところがブログなどWeb上での発言は、誰に対しても、どんな状況の人にも同じように届いてしまいます。


「結婚できねぇ!」というネタを面白おかしく書いたら、
例えば25歳の人には「あるある!」と爆笑してもらえた。
でも、15歳の人には「そんな先の話は理解できない。仲間はずれにされた気がする」と不満を言われ、
一方で35歳の人には「ぜんぜん笑えないんですけど」と怪訝そうな顔をさせることもあります。
こんなことはしょっちゅうあるんですが、すると、次回こういう話を書くとき、ちょっと考えます。
喜んでくれた人の顔よりも先に、ムッとした人の顔が思い浮かんで、申し訳ないことしたなぁと思います。


本音で言えば、
個人的な感覚では、このブログはネットの片隅でひっそりと絵をさらし、
ときどき思いついたことを勢いで書いちゃったりしている、というぐらいのものしかないです。
そして自分の脳内イメージでは、よく読んでくれる人が20人ぐらいいて、
その人達がリアクションをくれて、それが嬉しいなぁと思ったり、その人達を思い浮かべて文章書いている感じなんです。


だから「『読み手のことを考えちゃう』なんて自意識過剰だぜ?」と言えばそうだと思うし、
「書き手が読者を考えているほど、読み手は書き手を考えていない」という話も、そうだと思います。
「たぶん、あなたのブログを気に入って読みに来ているんだろうから、書きたいことを書けばいいと思う」
というのも、その通りだよなと思います。


でも、毎日2000人の方に読んでもらえてると、さすがに考えてしまうんですよ。
もちろん、2000人全員がめちゃめちゃ真剣に読んでいるわけじゃなく、最初の1行眺めただけで帰っている人もいるでしょうが、
こうなってくると、読み手のことを全く考えずに書くのは、もう、ちょっと無理です。




とはいえ、先ほど書いたように誰にとっても面白い話題というのはありません。
どっちかを立てればどっちかが立たなくなります。
ある方向を向いて話せば、反対側の人には僕の後頭部を見せることになります。
そういうときは、前を向いて笑って話をしながらも、どこかで背中側の人を気にしていたりします。
だから、ネタの順番を考えたり、少数の人にしか伝わらないとわかっている話を、たまには書いたりすることにしてます。


そういう意味では、このエントリー自体もある方向を向き、ある方向には背を向けているんですが、
自分の中では360度ある中でも、一番に向いていたい方向があるというのと、
背を向けている側の人たちには、きっと察してもらえると思い、
書くかどうかも含めていろいろ悩んだんですが、書くことにしました。


何言っているかわかんないですね。抽象的でごめんなさい。
いずれにしても、今後はちゃんとニュアンスを伝えられるよう、絵だけでなく文章の練習もしていこうと思いました。
でもきっと、これからもいろんな方向に向けて書くので、つじつまの合わない話がたくさん出てしまうと思います。
「何も考えずに楽しめばいいよ!」と言っている一方で、「ちゃんと考えろ、浮かれてる場合じゃない」と書くと思います。


それは向いている方向、思い浮かべている人が違うから起きることで、
自分の場合、そういうことがないようにするのは、とてもとても難しいのです。
もうちょっと努力します。




ネット上のコミュニケーションはどうしても言葉が足りなくなるから、
不快を感じてしまった方に、どれだけ言葉を尽くして言い訳したとしても、一度感じた不信感みたいのは拭えない気がしてます。
また、このエントリーそのものが、新たに不快感を感じる人を作ることになることも自覚しています。


本当はこの文章の前後にも続きがあって、図もあって、いろいろ考えてたんですが、
正直なところ、どうしたらいいか全然答えが出なくって、
どうしたら最大公約数的にいい方向に持っていけるのかわかりませんでした。
今回書けなかった話は、いずれ別の機会に書いていきたいと思います。




いろいろとすいませんでした。