「体験」は交換不可能だけど、お金にはならないような気がする

初音ミク名曲メドレーをオーケストラで!op.39×31

最近、ニコニコ動画初音ミクメドレーオーケストラバージョンを聞きながら絵を描いてます。
これがよくできていて、特に10分過ぎからの怒濤のメドレーは素晴らしいのです。
ぜひ。


ネットの普及やツールの充実などにより、
プロでない人間が自分の作品を発表することが簡単になってきました。
しかもそのレベルがプロのモノと比べてみても遜色がないものも多くなっています。


質の高いものが無償で、大量に供給され始めるということで、コンテンツビジネスは終焉を迎えているという話があります。
ここでのコンテンツは「ゲーム」「アニメ」「マンガ」「映画」「小説」「音楽」みたいなものを考えていますが、
要は「有料なコンテンツと同じくらい面白いものが、ネットならタダで見られるなら、そっちでいいよ」ということで、
この手のコンテンツを作るクリエーターなり、販売する会社なりはいずれ儲からなくなるんじゃないかという話です。


そして、じゃあ今後どうなるんだ? ということで考えられていることの1つに、
「体験」に主眼を置くのはどうだろう、というのがあります。


そもそもマンガを買うのは、マンガを買って「面白い」という体験をしたいからであって、
コンテンツはその気持ちを呼ぶための1手段に過ぎない、むしろ体験こそが大事なのだという考えです。
(商品を買うことによる所有欲については別途考えるので、今回は置いておきます)
http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1564


確かにその通りだなと。
しかも複製可能なコンテンツと違って、体験はその人だけのものでしかない。
「思い出はコピー不可能である」という最大の強みを持っています。
ということで「体験」というキーワードに活路を見いだそうと思っているのですが、
考えれば考えるほど「うーむ…」となってしまうのです。

体験って儲かる?

体験型ビジネス(といっていいかどうかはわからないけど)ですぐに思い浮かぶのがイベントです。
例えばニコニコ動画初音ミク関連の動画にはまったファンが集まり、
オーケストラコンサートを開く、みたいなことが考えられます。
そのコンサートでは場所代だったり、場合によっては飲食代だったり、もちろん出演者へのギャラなどお金が動く要素もあり、
参加者は満足して帰るかもしれません。「いい体験ができたな」と。


でも、これは今でもやっていることだよなぁ、と。
プロのアーティストはCDを売って、コンサートもやっている。
チケット買って行ったファン達は、ちゃんと体験もできている。


すると初音ミクは「CD1枚分」だけお金が動いていない。
ましてやコンサートに行かない人たちの方が圧倒的に多いわけで、
「コンテンツそのものでお金が取れない」っていうのは非常に厳しいなぁと思うのです。


さらに言うならコンサートなどの場合、キャパシティやアーティスト自身の稼働率に上限があるわけで、
これまた「CD売る方がコストパフォーマンスがいいなぁ」とか思ってしまうのです。


もちろん「体験」にはいろんな形があると思います。
アーティストに憧れておそろいのギターを買ったり、友達とスノボに行くからウェアとボードをそろえたり、
いろんな形でお金を払う場面はあると思うんですが、
なんというか、それってすでに行われていることなわけで、
今後、「体験」という市場に広がりの余地があるのか?っていうところで、どうしても詰まってしまうんです。
コンテンツ分の機会損失を埋めるための金脈があるのか、と。

体験のためのコストも下がっている

加えて体験にかかる費用も下がってきています。
例えば自分の場合で言えば、
無料ではてなにスペースを借りて、今のところ無料なsaiを使って絵を描いて、やっぱり無料なGIMPでリサイズして、
そんな絵をアップして見てもらえてるわけです。


「かわいらしい絵ですね」とか言われて
「べ、べ、別に嬉しくないんだから。お世辞だってわかってるんだから」って言いつつ照れまくったりしながら、
「きょ、今日は気が向いたから2コマ描こうかな。しょうがないから気が進まないけど色塗りもしよっかな」とかやってるわけです。


ここまでゼロ円。まさにプライスレス。Be Free、全部フリー。
今後、手軽にアニメが作れるフリーソフトなんかが出てくれば、さらに新しい体験ができるかもしれません。
もう、ここまで考えてくると「コンテンツを介してお金を集める」どころか
「体験を通じてお金を集める」というのも無理なんじゃないかと思ったりするのです。


なんて、諦めムードなエントリーだろう(笑)

思わずお金を出したくなる「おもてなしの心」

と思いつつも、
「ものを作るのは褒められるかもしれないけど、お金にはならないので、趣味程度にしておきましょう」
と言うのはちょっと癪で。なんとか突破口はないかと考えています。


やっぱり片手間でやっている人より、1日中時間をつぎこめる「それで食っている人」の方が良い作品を作るだろうし、
個人的に、そういうマジな作品を見たいなーというわがままな思いがあるからです。


ところで「体験はコモディティ化できない」というときの、
この「体験」の言い方として弾さんは「おもてなし」という表現を紹介しています。
【Watcherが展望する2008年】 コモディティとならざるもの | 日経 xTECH(クロステック)


おもてなしと聞くと、あんまし発想力のない自分は、
京都の料亭で舞妓さんが「おいでやすー」と言っている場面を想像してしまうのですが、
昔、憧れていた年上のお姉様は自分に、
「お金を払うのは気分を買いたいからだ」と教えてくれたことがありました。


それは、なぜわざわざ高いお店で食事したり物を買ったりするのかという問いに対する答えだったのですが、
確かに自分も良い思いをさせてもらったら「いくらか払おうか」と言いたくなる場面があったりします。
相手のおもてなしの心に満足して「うん、これならちゃんと払おう」と思う場面です。
要は、「払いたくて仕方ない」と思わせる状況・工夫になるのですが、
これを突破口にできないかなあ、と考えたところまでが今日できるアウトプットの終点。




コンテンツの価値があろうとなかろうと、ぶっちゃけ企業側は手を変え品を変えビジネスを展開できると思ってます。
そこはそんなに難しくない。例えばコンテンツが増えれば需要側と供給側のマッチングサービスが必要になる。
問題はコンテンツを作る側(クリエイター)がなんとかして食っていくことができる方法はないのかと。
このままジリ貧になっちゃうのはおもしろくねぇし、その労力を無償で提供させ続けるのもどうかと思うのです。


「体験が価値を生む」という考えに、
「確かに参加者はハッピーだけど、マネタイズまで持っていくのは難しいんじゃ?」と感じつつ、
やっぱりそれって知的資源の価値が下がる中で1つ見えてきた答えだから、なんとかならんかなぁと思いながら、
「それにしてもこのオーケストラは才能だな! 気に入りました」と、今夜もニコニコ動画の前で唸ってるのです。