1つの考え方ですべてを乗り切ろうとするのは、さすがに無茶だと思う







「それはちょっと違う話なんじゃないかなぁ」と思ったのです。


例えば何かにつけて疑ってばかりで、すごい疲れた顔している人に、
「たまには信じるところから始めてもいいんじゃない?」と言ったら、
「そうやって信じるべき、信じるべきって思いこんでいった結果、相手が『死ね』って言ったらどうするんだ。死ぬのか?」
みたいな話になったとき。


なんでそうなるのかなぁ。もー。
どうしてそんな極端な例が出てきちゃうのかなぁ。もー。


「物事の考え方」「解決策」「メソッド」「ロジック」などなど、言い方は何でもいいんですが、
そういうのって「適用範囲」があると思ってるんだけど、どうなんですかね。
今、「どうなんですかね」って書いてみたら、「何を当たり前のことを」って言われそうだと思ったんですが、
0か100か、みたいな方向に話が持って行かれると、結構この「適用範囲」が忘れられたりするような気がします。




例えば「今の仕事を辞めたい、どうしても辛いんです」っていうときに
「でも、どんな仕事からも逃げちゃダメだ。辛くても一生懸命乗り切らなきゃ」っていう考えがあります。


確かにすぐに投げ出してばかりじゃ何も身につかないから、その通りだと思うんですが、
それがいっつもネチネチ言ってくる上司がいて、何度やめてくれと言ってもやめてくれなくて、
隣の席の人は何かにつけてセクハラばかりしてくるし、精神的に耐えられない、みたいな状況だったら、
「いやいやいや、それはさっさと職場を変えた方がいいよ」という話になると思うのです。
「一生懸命乗り切らなきゃ」という理屈の適用範囲外だろ、それは。ということで。
状況によって事情は変わってきます。


また、人によって解決策が異なることもあります。
過去に5人ほど彼女がいたことある男子が、ここ2年ほど恋愛にめぐまれなかった。
で、「彼女欲しいなぁ。どうしたらいいんだろう」とつぶやく。
一方で、今まで1度も彼女ができたことない男子が、
「彼女欲しいなぁ。どうしたらいいんだろう」とつぶやく。
同じ「彼女できない問題」だけど、その人が抱えているものが違えばやっぱり解決策は違ってくると思います。

その考え方が通用する「旬」

てな感じで解決策・考え方には適用範囲というか、「旬」ってのがあると思うんです。「ここぞ」ってときが。
適用できる人もいるし、適用できない人もいる。
適用できてた人でも時間が経ったり、状況が変われば通用しなくなる。
1つの考え方について応用を利かせてみるのは素晴らしいことだけど、何でもかんでも当てはまるものじゃない。


もちろん、幅広く通用するロジックもあったりします。
「相手のことが好きなら、その気持ちを伝えるべき。絶対に伝えるべき!」とか
「仕事に限らず常にPDCAサイクルを意識するといい」とか。


それにしたって、やっぱり適用範囲があるわけです。
「好きな相手がすでに結婚してて、子どももいて、私の気持ちにも気づいてて、迷惑がってて、
 それでも気持ちは伝えた方がいいっていうの?」となれば、
「そっかぁ。それは我慢するしかないね。しんどいね」ってなると思う。

話の適用範囲、前提条件

他人の意見にカッとなると、ついつい極論をぶつけて足をすくってやりたくなるじゃないですか。
情けない話、オレはよくなってしまうのです。自分の考え守りたくて。


でも、相手が意図している適用範囲を超えてしまえば「それは別の話」になるんだなと、つくづく思う今日この頃。
これ結構忘れて自分の先入観だけで話しているときあるぞと。それを無視して極論を出しても何も届かないなと。


まあ、何が言いたいって、
話の適用範囲、前提条件はちゃんと意識しようと。
自分の思いこみだけで人の話を聞かずに「何の、どの辺について言いたいのだろう」と聞こうとする態度を心がけたいなと。


でもって、1つの考え方を手に入れて安心し、それで物事全てを押し切ろうなんて考えずに、
いろいろな角度から考えられる力と、解決策を見つけられるたくさんの引き出しを身につけたいなと思うのです。