あの人ともっと話そう。それよりもっと話を聞こう。

難しい話は嫌いじゃないんだけど、
あんまりやりすぎると頭でっかちになっちゃうのん。
だからなるべくシンプルにいきたい。
てことで、最近の反動みたいなエントリー。


1人で
「どういうふうに生きるのが幸せか」とか
「人生ってこうだ」とか
「オレの性格はここが問題なんだ」とか
いろいろ考えて煮詰めて答えを出すのって確かに楽しいところがある。
けれどもね、それが、さも尊いことのようになっちゃ良くないと思うんです。


たくさんのブログを読んだり本を読んだりして、多くの意見に触れたり、
ブログで自分の考えを発表して、コメントもらって、また書いて、ってのも
もちろんとてもとても素晴らしいことなんですけど、
なんかそれで
「自分はいろんなことについて考え、自分なりに答えを出している」って思ってたりしたら、赤信号だと思うんです。

基本は人と

何が言いたいって、自分の中でうんうん考えながら答えをひねり出すこと、自問しながら生きることは確かに大事。
だけど、他人とのコミュニケーションの中から学ぶことや、
自分が試されることの方が絶対に大きいし、多いし、大事だと思うんです。


振り返ってみれば、確かに本やブログを読んで、
「へー、なるほど。この考えはいいな」って思うことはあった。
でも、いざ他人とコミュニケーションを取ってみると、
その考えが全然通じなかったり、
すっかり吹っ飛んでしまって感情的になってたり、
「おかしいんじゃない? その考え」って指摘されたり、
やあ、もう、あの1人、部屋の中で「これだ!」って叫んでたのはなんだったんだみたくなったりするわけですよ。


つまりさ、本の知識やネット上の議論もすごいかもしれないけど、
他の人と一緒にいる、そしていろいろ考えさせられるってのが基本で、
自分1人で考えを整理するのは「副」みたいなもんなんじゃないかと。
サッカーで言うなら
他の人と一緒にいながらいろいろ吸収するのが前後半90分で、
本を読みながら吸収するのはその間のハーフタイムだと。

ということで

もっと人と話そう。
たくさんの人とじゃなくていいから、1人の人とじっくりとでいいから話そう。
チャットやスカイプや電話じゃなくて、直接会って顔を見ながら話すんだ。


しかも自分の意見なんかどうでもよくて、相手の話を聞こう。
自分の意見なんかブログに書けばいいんだ。
せっかく一緒にいる時間なんだから話を聞こう。
「聞ける人」になるなんてかっこいいじゃないか。


で、話しながらいろいろ感じる自分の気持ちに気づくのだ。
むかついたり、共感したりしてる自分の感情をハーフタイムに整理するんだ。



きっとそういうスタンスの方がいいと思うんです。
だって、いくら自分の中で生き方やら、価値観やらを固めていったとしても、
オレらは1人では生きていけないんだから。
いくらご立派な考えを持っていたって、1人家に引きこもって生きていけるわけじゃないんだから。


って、自分に言いたくなったのよ。
考えをまとめるのはそこそこにして、人と会って話をしようぜって。
できればさまざまな価値観の人と会えたらいいなぁ、と。

コミュニケーション能力をあげろ、ってことじゃない

なんかこう言うと、
「コミュニケーション能力」をあげましょう、って言ってるみたいだけど、そういうんではなくて、
さらに言えば「人間関係のテクニックやセオリーを体験しながら知りましょう」っていうんでは、もっとなくて、


なんだろなー。
人と触れ合うことを楽しもうぜ、って感じかなぁ。
「みんな、その人の人生を生きているんだ」ってことを実感しようぜ、というか。
それは「知識」とはちょっと違うものなんだけど。
でも、そっから気づくことの方が、
きっと自分の中の世界観を劇的に変えられるような気がするのです。




そうすると、
人前で笑顔を見せられることが、どれだけでっけえことなのか気づかされるし、
「ありがとう」をスマートに言う難しさとか、
気持ちを乗せて伝えられたときの充実感みたいなものとかが、「ああー」ってわかると思うし、
それって本に「ありがとうって言うのが大事です」って書いてあって、
「ふーん、そうなんだ。言うようにしよう」って思うことよりも、
めちゃめちゃ強烈で、
めちゃめちゃグっとくることなんじゃないかと思っているのです。



自分が一生懸命考え抜いて導き出した答えなんて、
人前にでればあっさりと崩れる程度のものだよ、って言いたかった。
だからそんなのに一生懸命になるのはほどほどにしたいね、って思うんよ。