靖国神社のおみくじが教えてくれたこと

と言っても、ウヨクだのサヨクだのって話ではなく。ふと思い出したこと。


20才ぐらいの時に靖国神社に行ったんです。普通にお参りに。
当時の自分は、そこが政治・歴史的に意味深い場所だということはわかってて、
「一度は見ておいた方がいいんだろうな」と思ったので、出かけることにしたんです。
行った感想は、「あー、鳥居がでかいなぁ。参道長いなぁ」ぐらいでしたが。


でもって、靖国神社にもおみくじコーナーがあったのです。
そのミスマッチ感に笑いながら、おみくじを見ると引かずにはいられない性格なので、レッツおみくじしたんです。


靖国神社のおみくじは「吉」とか「凶」とか書いてないんですよ。(今は違うかも)
なんちゅーか、文庫本を買ったときについてくるしおりみたいな感じで、
小難しい、ありがたい言葉のようなものが並んでいました。
平たく言うと、がっかりおみくじでした。


ところが裏を返してみると、そこには現代っ子の自分にもわかりやすい文章で、こう書いてあったんです。

映画や、テレビのドラマ、人が作った作り話が、実際には無いウソの話であっても、
その話を聞いて流したあなたの涙はウソじゃない。
それを読んで、「あー、いいこと言うなぁ」と思ったのです。
靖国神社のくせに。
ちょうど今と同じ秋も深まってきた頃の夕方で、あたりはだいぶ暗かったのを覚えています。

自分の感性だけは見失わない。

ちょっと前、ニコニコ動画に自作自演騒動がありました。
歌を歌った動画がアップされ、ランキング入りしていたんですが、
そこに書き込まれたコメントがアップした本人のものだった、しかも「プロみたいですね!」みたいなものばっかりだった。
でまぁ、数日間ニコニコ動画は荒れたのです。


ただ、彼ら彼女らの歌を聞くとうまいんですよ。
キモ格好良くて笑えるのもあったりして、自分は素直に「すげぇな」って思ったんです。


こういうときに「自作自演してるんじゃねーよ!」なんて騒ぎが起こってしまうと、
騙されたような気になったり、「いいな」って思った自分が恥ずかしくなってしまったり、
自作自演だと見抜けなかった(まぁ、見抜けないけど)自分が情けなく感じてしまうかもしれません。
ただ、それでも「これはいいものだ」と思った自分の感性を押し込めるもんじゃないと思うのです。
自作自演と、彼ら彼女らの歌声は別物で考えるべきだし、歌を聞いて感じた自分のポジティブな感性は大事にすべきだと。

「騙されてないか?」と考える前に。「他人の酷評」を気にする前に。

言ってみれば世の中ウソだらけなわけですよ。
テレビは真実っぽくやらせ映像を報道したり、
友達の米持君は、いつも150%誇張して話すし、
美しいと思った絵は盗作だったりするのです。


だからといって「ウソっぽいなぁ…」と決めてかかってばかりいると、
騙されていないかどうかということばかり気になって、
「ふ。オレは騙されてないぜ」というとこにだけ優越感を感じてたりする。話の内容なんてそっちのけでさ。
しかも、騙されたってときには「オレの感動返せ!」とばかりに他人を批判する。
なんかそれってどうなんだ。


映画館で感動してボロボロ泣いた映画を、Yahoo!映画で検索したら酷評の嵐だった。
自分の感覚って間違ってるのか?
掲示板に書いてあることを読むと、他の人たちは映画の題材となった時代背景まで考慮してるぞ。
まだ自分は映画の楽しみ方を知らなかった! あんなので泣くなんてバカみたいじゃないか! 
なんて、浅はかな自分を責めるのはどうなんだ。
(…そんな人いないか)




何が言いたいって、
自分たちは何かに感動して「すげー」と上げた声を、世の中の批判を聞いて「やー、あんまりたいしたことないな」に差し替えたり、
感動の本質以外の部分(話がうそかどうかとか、パクリだったとか、金がらみだとか)で
せっかく「いいな」と感じた自分の感性を隅に追いやってないか、ということなんです。


今はネットもあって、自分と同じ少数意見や仲間を見つけやすいからそんなこともないのかもしれないけど、
知らず知らず、無意識のうちに周りとあわせたり、
いろんな要素をごっちゃにして評価しているときがあるんじゃないかなと思ったんです。

「いいな」と思うことを肯定していくのって、自信につながらないだろうか

なんでこんなこと考えたかって、
最近「自分は本音を見せられない」「本当の自分は格好悪すぎて心を開けない」というような記事や人に出会うことがあり、
それは、なんとかならんのだろうかと考えていたのです。
結論出てねぇけど。


でも、「自分が好きだと感じること」を認識するのって、解決の第1段階になりそうだと感じるんです。
うさんくさい話だけど、結局は自分を認めて肯定するところから始まるんだろうなー。やっぱり。


だからなんちゅーか、
いろんなノイズや他人からどう思われるかなんて気にせずに、
まずは自分の感性を大事にしたらどうかのぉーって、
靖国神社のおみくじは言ってたYO!というお話でした。




まあ、そう言われると
「自分の好きなことに意固地になるのはどうなんだ」とか、
「そのまま宗教に入っちゃったらどうなるんだ」って話になるけれど、
それは1-1をクリアして1-2の土管に入ってからの話なので、また今度考えてみる。