これからのWebサービスのヒントに、「湖化」というキーワード

Web 2.0と呼ばれるものもだいぶ行き渡ったと思うので、この数年でいろいろと見えたものと、
今後Webサービスはどういう機能を持つべきかについて考えてみた。
どちらかというとサービス提供側の視点です。メモなので絵はないです。

ユーザーには2種類いる
  • ネットはYahoo!AmazonYouTubeなどだけを使い、見知らぬ人とのコミュニケーションを求めない層。mixiなどを使って知り合いとは連絡を取ったりする。
  • 掲示板やHP、ブログなどを読み、見知らぬ人とのコミュニケーションを求める層。ROM専門も多いが、自ら発信する人もいる。

簡単に言うと、上がうちの母親で下が自分。
ネットをテレビや雑誌と同列に見ている人と、ネットならではの双方向性を楽しむ人。
ネットヘビーユーザーは自分が上から下の層に来たため、みんなそうなると思いがちだが、
案外この2つは混ざることが少ないので、分けて考えた方がいい(別々のサービスを提供するぐらいに思った方がいい)。

Web 2.0が見せたもの

Web 2.0は「誰もが情報を発信できる」という新たな文化だったと思うんだけど、
それに触れた人々の反応を見ることで、人間のいくつかの特性を明らかにしたと思う。

  • 人は大量の情報を処理しきれない
  • 自分の望まない情報には嫌悪感を持つ
  • 自分を見て欲しいと誰もが思っている

人は大量の情報を処理しきれない
.comブームというか、企業が情報を発信することがメインだった頃は情報量もそんなに多くなかったんだけど、
個人がブログを持ったり、情報を発信する媒体が増えてきたことで、情報も爆発的に増えた。
当初、情報が増えて多くの人は喜んだし、大量に情報があっても人は慣れていくものかと思ったけど、
普通の人間には処理しきれる情報量に限界があり、実際、処理しきれない人も増えてきた。


「処理しきれていない」と思うと人はストレスを感じるので、その情報源を遮断して「見なかったことにする」ことが多い。
例えばmixiで友達の日記を見て回らなくなったり、はてブ人気エントリーを追いかけなくなったり。


自分の望まない情報には嫌悪感を持つ
また、批判的な意見や情報も「自分にはなかった視点だ」と喜ぶ人もいるけれど、
大抵の場合、ネットは「ブラウザを通じて、私だけのフィールドが広がっている」という感覚があるので、
基本的に自分にとって望んでいない情報やコメントには不快感を持つ。
なぜ、ネットを見てまで不快にならなければいけないんだという思いとともに。


こういう場合の多くは「インターネットはオープンだから、受け入れろ」「嫌なら見るな」という
本人に問題アリという結論で片付けられるが、本人がそれで納得することは少ない。


自分を見て欲しいと誰もが思っていることの可視化
承認欲求は誰にもあるけれど、現実世界でそれが満たされることは難しいと誰もがわかっている。
比較的ネットは匿名性などを生かして自分を表に出す敷居が低いので、ブログなどでたくさん見られ、
結果的に「私を見て欲しい」という欲求を多くの人が持っているのだということが再確認された(個人的には)。

これからのWebサービスのキーワード
  • レコメンド
  • パーソナライズ
  • フィルタリング
  • ユーザーは受け身
  • 人の手

ポイントは「自分にとって本当に必要な情報だけを選別して、満足いくまで提供してくれるサービス」


「提案」なので、レコメンド機能が重要(Amazonの「この商品を買った人は〜」ってやつ)。
その精度をあげるために個人の趣向を特定するパーソナライズ機能も大事。
そして、今までWebはとにかく情報を網羅することに一生懸命だったけど、
今後は「フィルタリング」という意図的に情報を絞り込む機能が望まれるんじゃないかと。
ユーザーが望まない情報、コメントなどはネット上にあったとしても、Webサービス側で見せないように設計した方がいい。


また、今までネットは能動性が求められるものだった。
欲しい情報は検索し、動画を見たければページにアクセスしなくてはいけない。
ある程度ユーザーの能動性、欲求エネルギーに期待していた。


今後は「ユーザーの大半は受け身である」という認識のプライオリティをあげてもよいのではないだろうか。
テレビがだらだらと番組を流し続けるような「Webサービス側からのアクション」を盛り込む。
とはいえ能動性を無くせということではなく、能動的なユーザーには検索窓を提供し、
受動的なユーザーにはおすすめ新着を提供する、というような2つのサポートを用意するべき。


あと、何か情報を選別するときに機械的にやっても満足度を高められないと思った。
それは精度が低いからなんだけど、これについて、向こう10年間はそこまで技術は進歩しないと思う。
なので、「機械がすべて検出する」という幻想を(天才技術者じゃない人は)捨て、
「人が選別する」というクオリティの高さを再確認してもいいと思う。


これらは1つ1つ独立したキーワードというよりは、それぞれを複合的に考えた方がいい。
フィルタリングするためにパーソナライズが必要とか、ユーザーは受け身なのでレコメンド部分を強化するとか。

結論:ネットの海を「湖」に

これまでネットの世界には情報がたくさんつぎ込まれ、「海」のように例えられていた。
この海をどう自由に走り回れるようにするために、Webサービスはあたかも良い船を提供しようとしていた。
大航海プロジェクトとか言ってた。


今後はネットの海を泳ぎまくる(方法を提供する)というよりは、
海から水を引き、湖化して手渡すアプローチがいいんじゃないかと。
山の中にひっそりとある湖のようなものをユーザーに提供する感じ。
「あなたはこんな湖がいいんじゃない? 水は私たちが引いておきますよ」みたいな感じで。

もう1つ、「ユーザー満足度」という切り口

ここまではシステム的な発想で、
もう1つはサービス性的な発想からどういうアプローチでユーザー満足度を出せばいいかという見方があるんだけど、
まだまとまってないので、もうちょっと考える。


コミュニケーションのないサービスの場合

  • 自分の好きな物で満たされている感覚
  • 自分の賢さを確認できる感覚
  • 得をしているという感覚

コミュニケーションがあるサービスの場合

  • 自分が必要とされている、または認められている感覚
  • 自分が平均以上に優れているという優越感