Googleストリートビューが気分悪いのは、知り合いに見られるからじゃないだろうか

Googleカーの人が「モラルある人」とは限らない

本題に入る前にちょっと疑問に思っていることがあるんですが、
例の「ラブホに入る直前写真」とかって、偶然撮影されたんですかね?
Googleカーの運転手がラブホテル街の道路を走ってるときに、
車の速度を調整して、絶妙のタイミングで写真を撮ることもできるんじゃないかなーって思うんですが、
そんなことはないんですかね。


おそらくGoogleカーは「一定距離走行ごとに写真を撮る」という仕組みだと思うんですが、
だとすると、「走る速度」「その道を通る時間帯」は、運転手の領分なのかなぁと。
すると、ホテルに入るタイミングにあわせるぐらいの「手心」は可能な気がするのです。
問題はその「手心」がどこまで大きいかってことなんですが。


いや、なんとなくそんなこと思って。
まるで機械的に写真を撮っているようだけど、撮っているのは「人間」なんだよなーって。

プライベートを見られたくないのは不特定多数じゃなくて「知り合い」

いろんなところでGoogleストリートビューが話題になってて、
「気持ち悪い」「いや、気持ち悪くない」と賛美両論だったりします。



で、なんとなく話が「見ず知らずの人に自宅がさらされている」という方向に行っているような気がするんですが、
むしろ不特定多数の人に見られるのは、そこまでポイントではなくて、
嫌なのは知り合い、
それも「面識がある」程度の人まで含めた知り合いに見られるのが、嫌なんじゃないかなぁーと思うんです。
自宅の写真を見られて、「へぇー、こういう家に住んでるんだぁ。ふーん…」と思われたりとかが。


例えばオレの家の写真をオレの知り合いが見たとします。
すると、guriさん愛用の花柄シーツの布団が思いっきり干してあるわけですよ。
これは恥ずかしい。片想い中の丸山さんに見られたら、ちょっともう告白とかできない。
いや、むしろ後輩の倉田君に見られる方が恥ずかしい。
「guriさん、仕事できるけど、花柄なんですよね…ぷぷぷ」とか言われる。死にそう。


そういえば友人の部長さんは、軽自動車に乗っていることがみんなに知られて、すごく恥ずかしがっていたそうな。
オレはいいと思うんですけどね。軽自動車で。
でも「部長クラスの人が軽自動車って」っていう思いがあって知られたくなかったそうな。
そういえば友人の能代君はオタクであることを、ひたすら同僚に隠しているんですが、
だとしたら、秋葉原Googleストリートビューに写っている彼が、同僚達に見つからなければいいんですけどねぇ。




ところで我が家のストリートビューはすでに削除済みなんですが、
オレの花柄シーツよりも、妹の下着が写っている方が問題でして。
まあ、画像は荒いけれど、色と形で「ああ、ピンクのショーツだなぁ」ってわかっちゃうんですが、
この画像を放置しておけるかって言うと、それはできないわけですよ。兄として。
もしかしたらストーカーさんが、毎晩毎晩、うちのベランダの写真を見てニヤニヤするかもしれないじゃないですか。


すると「外に干しておくのが悪い」って言われるかもしれないけど、
そりゃ、近所の人に見られるのは心のどこかでわかってて干してはいたんですが、
「まさか、日本中の人に見られるとは」
「まさか、うちまで電車で2時間かかる、妹の職場の同僚が見るとは」
思ってなかったわけです。

望んでいないことを勝手にやられる気分の悪さ

そう思うと、ストリートビューに対して気分の悪さを感じるのって、
「頼んでもいないのに自宅の写真を公開されたこと」
「望んでもいないのに街を歩く自分を公開されたこと」
という、見られたくないモノを公開されたことが1つあるのかなって思います。


しかも、ご丁寧に地図情報までくっつけて(笑)
しかも、Googleというネット上で強大な視聴率を誇る場所での公開で。
誰でも見られる、すなわち「見られたくない知り合いにも見られる」という望まない結果も含めて。

個人情報を1つ、無償で公開してくれたGoogle

もう1つ。
「個人を特定できないから問題はない」という意見もありますが、
見方を変えれば、「個人を特定できる情報があれば…」と言うこともできます。
多くの人にしてみれば無意味な「ただの街の風景」でも、
1つ個人情報を持っている人にしてみれば「○○さんが住む街の風景」になり、意味が出てくるのです。


個人情報ってやつは、組み合わせることで意味合いが強まるんですが、
(例えば「名前と住所」「名前と電話番号」「顔と住所」)
今回、その1つをGoogleが無償で公開してしまったというところにも、気分の悪さを感じるんだと思います。
これで「オレの家の住所を知っている人は、無条件にオレの家の写真を見られる」ようになったわけです。


そして、自分の家の住所を検索する人は、不特定多数の人よりも、知り合いが多く、
しかも、検索結果のストリートビューに価値があるのは、不特定多数の人よりも、知り合いが多いであろうという事実にも、
「知り合いに見られる可能性があるんだよなぁ」という漠然とした嫌な思いを感じるんじゃないでしょうか。