ネットやってても、キミの世界観は広がらない


や、よくネットってさ、「欲しい知識がすぐに手に入る」とか、
「普段なら絶対に出会わない人と交流ができる」とか、
無限の世界が広がっているぜ!みたいなこと言う人がいるじゃないですか。
「知識を覚えるのをやめてGoogleを使いこなそうぜ」、みたいな。


まぁ、無限の世界が広がってるとか、たくさんの情報がすぐに手に入るのは、そうなんですが、
「イコール、世界観が広がる」ではないんだと思ったのです。
むしろ、1つの考えや見方に固執してしまい、世界観が狭くなっていくんじゃないかと。
考えてた流れはこんな感じ。

人は真相に弱い

テレビで流れたニュースの真相や、「マスコミが報じなかった本当の情報」みたいなものに人は弱かったりします。
そういう裏情報を知ると、「えー、そういうことなんだー」とか、
「やっぱりそうなんだー。これだからマスゴミはー」とか言いながら衝撃を受けるとともに、
妙な満足感があります。

裏の裏を探さそうとしない

でもって、一度「物事の裏情報・真相情報」を得てしまうと(実際には「得た気になると」)、
本当か嘘かに関わらず、それをひっくり返そうとは思わなくなってしまうところがあります。
「テレビでニュースを見た」→「ネットで正反対の情報を見つけた」→「やっぱりマスコミは信用ならん! ネットは素晴らしい」→終了
みたいな。
もし、「実はネットの情報が嘘で、テレビが報じたとおりの内容が正しかった」という真相であっても、
裏の裏を探すのは面倒なので、たぶんネットで情報を読んだ時点で満足してしまうんじゃないでしょうか。


ここでポイントなのは正しいかどうかということではなくて、
「インターネットの情報は、より真相に近い」という錯覚を持ってしまうことです。
そして「インターネットは、なんだかんだ言って信頼できる」と、どこかで肯定しはじめることです。
いや、ある程度は信頼していいけど。

ネット上でのリアクションを信頼する

ネット上のコミュニケーションを楽しみ始めると、そのうち、他の人のリアクションに興味を持つようになると思います。
はてぶコメントだったり、2ちゃんねるの反応だったり。
そうすると、そこでの反応が正しいように思えてくる瞬間があるんじゃないかと。
「自分はこのニュースを読んだときにこう思ったけど、大多数はこう思うんだ」とか。


仮に正しく感じられなかった人がいたとしても、
きっとその人は「そういう風に思える場所(コミュニティ)」を見つけに行くと思うんです。
「アメーバニュースはどうもなじめない」と思ってたところに、
はてブを見つけて「そうそう、こんなリアクションのある場所が欲しかった」みたいな感じで。


自分と同じ意見が書かれているときは、そこのコミュニティに対する信頼度は、ぐっとあがります。
漠然と「ネットは信頼できる」と思っている中で、自分好みのコミュニティを見つけることで、
「まぁ、嘘も多いけどさ」と言いつつも、「インターネット」というものに対する肯定度は高くなります。
でもって、そこを気に入り、アクセスするコミュニティが限定されるようになり、偏った形で情報を受け取るようになっていきます。

脊髄反射で情報を処理するようになるから、本能が出る

もう1つのポイントはじっくりと問題を考えることが少なくなるということです。
情報がたくさんあるから、反射的に情報を判断するようになって、
こういう情報には、こういうリアクションを取る、というのが固定されていく。
中国と聞けば、こうリアクションし、
朝日新聞と聞けば、こうで、
著作権と聞けば、こうなのだ、
というように。


最初はギャグ気分で「まったく大人は、まったく」みたいな感じで思ってたかもしれないけど、
日常的に「情報に触れる→反射的にリアクションを取る」を繰り返していると、
その反応が、さも当たり前になってくるような気がします。


本当はもうちょっとちゃんと考えたり、
素直に受け取ってみてもいいんじゃないかなって思うことあるよ。いろんなとこ見てて。

硬直化する世界観

インターネットというのは、「自分から」「自由に」情報にアクセスしているんだけど、
他分野にわかってアクセスしているように思えて、実は自分の好きな情報にしかアクセスしていない。
「無限に広がる知識」にアクセスしているようで、「自分好みの情報」しか得ていない。
世界観が広がるわけではなく、
単に現在の自分の価値観が強化されていくだけだったりするんじゃないでしょうか。


加えてネットは本音が出やすいから、
他人と意見交換していると、どうしても自分と違う意見にぶつかる場面も多く、
余計に「自分の考えを守ろうとする」力が働くんじゃないかなーとか。


繰り返しになるけど、インターネットが膨大な情報を提供してくれる存在なのは間違いないと思ってます。
でも、それが自分の世界観や価値観を、どんどん押し広げてくれる存在かというと、それは違うかなと。
何に対しても、ひねくれて物事を見ようとする自分とか、
キレイゴトを言いたがる自分とかを、ひたすら肯定し強化してしまうという側面を持っているんじゃないか、
世界観を「広く」せずに「深く硬く」すると思うんですが、どうでしょうか。




自分にはネットを全くやらない友人ってのがいるんですが(iモードすらやらない)、
ネットばっかりやってる自分と彼とを比べたときに、自分の方が彼よりも世界観が広いとは思わなくて。
生身の体と自分の目でいろんなものを体験し、痛い思いをしながらたくさんの経験を積んでいる彼を見ていると、
インターネットの世界は「無限の世界」ではなくて、
「無限の世界の中の1つ」に過ぎないんだなぁ、なんて思ったりするのです。