「自分のことが好き」というのがよくわからない




こう、友達と話してて「オレ、自分のこと大好きだから」とか「私、自分のこと嫌いなんだよねぇ」とか聞いててさ、
好きだという人には「それはいいなー」と言い、
嫌いだという人には「それは寂しいなー」と言ってたんだけど、
はたと、「あれ? オレ、自分のことが好きって感覚、よくわからないぞ」と思ったのです。
同様に自分のことが嫌い、というのもわからないんですが。すんません、ほんと。


なんつーか、「自分の人生には幸運な出来事がよく降りかかってくるから好き」ってならわかるんですよ。
でもそれって、「自分の運命」のことが気に入ってるだけで、「自分のこと」ではないような気がするんだけど、
言葉のあやみたいなもんで、同じこと言ってんのかなぁ。


もし、そういうのだとしても、どうなんすかねぇ。
自分のことを振り返ってみても、まあ、一人前に生活はできているし、
うまくいったこともあれば、いかなかったこともあるけれど、それなりに望みが叶ってきた部分もあるし、
不満がないわけではないけれど、一通り満足しているから、
自分のことが好きと言えば好きになるんだと思う。


一方で、自分が必要不可欠な存在だとは思わないし、マイノリティ気分は抜けないし、
基本的に自分の役割を果たしたら、すっといなくなりたいって思ってるし。
そういう見方をすれば、自分のことが嫌いなのかなぁーって思う。
結局よくわからないんだけどさ。

でも、自分のこと嫌いなのは、きっとしんどいんだろうなって思う

自分の話はさておき。
自分のことが好きだっていう人は放っておいて大丈夫なんだけど、問題は自分のことが嫌いという人で。
以前、60歳ぐらいの人にアンケートをとったら「自分のことが好き」って言った人は、
全体の20だか30%ぐらいしかいなかったって話を聞いて、
なんとも切ない話だなーとか思ったりしたんですよ。


なんかさー、
そういう人に「自分のこと好きにならなくちゃ!」とか、
「あなたにはこんな良い部分があるよ!」って言うのは、なんか違うよなぁ。
もちろん、それを言って効果的な場面もあるんだけれど、
そうじゃないときに、どうしてあげればいいんだろうってよく考える。


結局、「オレは自分のこういうところが嫌でさあー」とか「もう、わたし、ホントに自分が嫌だ」っていうのを、
「うんうん、そっかそっか。そうかー。それはしんどいなぁ」って聞くしかできないんだよねぇ。
なんか変な決めゼリフ言っても、その人のためにはならないし、
「こうした方がいいんじゃない?」ってのも、その人の抱えているものを理解できなきゃ、単なる自己満足だし。


たださ、自分が何か大きく変えられるとは思ってないけれど、
「話を聞いてもらってスッキリする」という応急処置だけじゃなくて、
好き方向にベクトルを向けられる何かがないかなーって、そんなことを思うのですよ。いい方法はないのかなーと。
話聞いてるといっつも。




ここまで考え考え書いてたんだけど、ふと気づいたのは、
「自分のことを好き」という人と「嫌い」という人って、根本的に渡された体が違う感じがするなー。
「まとっている肌にある痛点の数」が違う感じ。もちろん嫌いという人の方がべらぼうに多くて。


街中歩くだけで血まみれになる人に、「そんなの気にしすぎだよー」って言うのはやっぱり酷だわなぁ。
「あちゃー、これは痛いよなー」って言って、包帯巻いてあげるしかないんだと思う。
でもって、そんなオレもまた血を流しているんだけど、「痛いってなんぞ?」とか言うんだろな。わかんねえもん。
だけどそれで、包帯巻きながら「お互い大変っすね」って笑って言い合えるなら、
自分のことが好きとか嫌いとかわからないけど、まぁ、きっとそれでもいっかってなるんだろうなー。