新聞屋は、なにがしたいんだろうか。

ちょっと前の話なんですけどね、
仕事終わって、家に帰って、ご飯食べながら夕刊を読んでたんですよ。


そしたら、社会面ってあるじゃないですか。いわゆる三面記事です。
そこに書いてある内容が、殺人事件だの、横領事件だの、自殺だの、火事だの、
もう、全部暗い内容っていうか、不幸せな内容ばかりなときがあったんです。
見開き全部。どこを見ても。


そのときに、「やー、さすがに、これってどうなのかなぁー?」って思ったのですよ。
家に帰ってきて、くつろごうかなって思ってるときに、
なぜに、こんな切ない話ばかりを読まなきゃならんのかと。
ご飯食べたら、ADSLやろうと思ってたのに、そんな浮かれ気分が台無しになるじゃないかと。


もちろん、1つ1つの事件は大事ですし、
火事に遭われた方の話は「気の毒なことだなぁ…」って思いながら読んではいるのです。
でもなぁ。見開き全面、そういう話で埋め尽くす必要ってあるのかなぁ、
事件を伝えるのは大事だけど、それを見開き一面全部にすることはないんじゃないかなぁと、
テーブルいっぱいに広がった新聞見ながら考え込んでしまって。


思惑のすれ違い

夕刊って、1日の終わりにゆっくりと読む人が多いと思うんです。
そこに殺伐としたネタを、どんどこ掲載するのって、果たして必要なのかなぁー。
わかりやすく言うなら、「いい話」をもっと積極的に探して掲載してもいいんじゃないかなって。
読み手が楽しい気分になれるような。
「日本も捨てたもんじゃないなぁ」って思えるような。


新聞屋に言わせれば、
「新聞とはそういうものだ」「事実を伝えるのが大事なのだ」ということになるのかもしれない。
それは決して間違いではないけれど、
読み手が望んでいないと知っても、同じ事を言えるんだろうか。
(もちろん、オレ以外の人は望んでいるのかもしれないけど)




世の中には、山ほどの事件や出来事があります。
それを全部、紙面に載せるわけにはいかないから、記者なり編集長なりの判断で「絞り込んでいる」わけです。
だから、どんなに事実を客観的に伝えようとしたところで、
情報が選別された時点で恣意的だと言わざるを得なくなります。


で、その、いわばエージェント(代理人)的にまとめたニュースを、
毎日毎日、「どりゃー」って問答無用に送りつけてくるわけです。
その結果が、「見開き全部、いたましい記事」なんですよ。


するとやっぱりさ、
「新聞社は、読んでるオレにどうさせたいねん?」って思ってしまう。
何を思わせたいんだ、1日の終わりにへこませたいのか?と。

記者は「読み手が喜ぶ話」を記事にする気はあるのか

まま、そんなことを言いだすと、
「読まなければいい」「スポーツ欄とか別のページを読めばいい」
「新聞なんてそんなもんだ」「三面記事だから仕方ない」とかなりますが、
そういうことを言い出してしまうと話が広がらないので、今回は読む方向で考てました。


なんかもう、あれかなぁ。
何も考えなしに「事件があった!」って聞いたら、ふぁーーーっと現場に行って、
「火事があった!」って聞いたら、ふあーーーっと現場に行って、
現場の派手さに浮かれ上がって、
「今日もいい取材ができた! いい記事書いた!」って、頭空っぽで入稿していたりするのかなぁ。
ぶっちゃけ。


ひとむかし前は、「事実を伝える」ということに、とても大きな意味があったかもしれない。
でも、これだけ情報が氾濫した時代になったら、
「その事件を選んだ」ということの方に意味が出てくるんじゃないでしょうか。
こういう話って、ちょっと現場の記者さんに聞いてみたかったりする。
どういう基準でネタを選んでいるのかって。


別に全部浮かれた話にしろとは思わないけど、読み手のことを考えると、
やっぱり見開き全部、重い話にしなくてもいいんじゃないっすか?と思うんです。
3割ぐらいは、読んでて気分が良くなるようなね、いい話でもいいんじゃないかなと。
それって「新聞」という役割を考えたときに、悲しい事件を伝えるぐらい、大事なことな気がするんです。

読み手がいて、はじめて報道になる

と、言いつつも「いい話って、例えば?」と聞かれたときに、意外と思い浮かばなかったりします。
「どこぞのおばあちゃんが130歳になった」
「どこぞの小学校のクラスが国際交流で海外に出発した」って言われても、
ふーんってなってしまう。
そんな記事ばかり集めても、つまらないだけなのかなーと思ったり。
「でも、それを読ませるものにするのが記者の腕だ!」と全力丸投げしちゃうのですが(笑)


センセーショナルな事件は何よりも書きやすいし、読んでもらいやすい。
でも、せっかく新聞社の記者になったんだから、
伝える価値があるもの、読み手にとって利益になるものを記事にして欲しいと思う。
問題点を指摘するだけが、報道じゃないんじゃないかと。




別に「これだからマスコミは」とか、そういう話じゃなくて、
いたましい事件の話ばかりが見開き一面に載っている状況(そういう状態を紙面上に作り出すこと)って、
結構、違和感のある風景だなーとか、
ちょっと立ち止まって考えてもいいんじゃないかなーと思った話なのでした。はい。
あと、自分のブログにも、なるべく読んでいる人が喜ぶような話を書きたいなー、と思ったなぁ。