人って元来、気持ち悪いものだと思う

最近、「はてなコミュニティは気持ち悪い」みたいな話を何本か読みながら思ってたんですが、
個人的には、はてながどうこうというより、そもそも「人」って気持ち悪いものじゃないかなーって思うんです。
そんな話。

パブリックな面と、プライベートな面

人間誰しも「人には言えないような趣味」みたいのがあると思うんです。大なり小なり。
「そんなもんねぇよ」って言われればそれまでですが、
好みだとか嗜好だとか、クセだとか、性癖だとかは人それぞれで、
さらには、考えとか、思想、妄想内容なんかも含めると、ホントに千差万別で一人一人違う。
頭の中は誰にものぞかれない、ってのをいいことに、「どひゃー!」ってこと考えてたりします。


じゃあ、それを普段の生活で表に出しているかっていうと、そんなことはないわけで。
いきなり出したらドン引きされてしまうので、常識的な行動をとり、ちょっとは演技したりして、
学校や会社では「パブリックなアタシ」の姿で振る舞ってます。


なんかね、普段の人間関係って、この「パブリックな一面」を見ているのに過ぎないんだけど、
このことに慣れてしまってて、
「この人の裏側にはプライベートな部分があるんだろな」ってことを忘れているときがあるような気がします。
うーん。やっぱりさ、誰にだって裏側の部分というか内側の部分はあるんだと思うんだ。


で、パブリックな一面を「常識的」とするなら、プライベートな部分は「非常識」なことが多い。
常識VS非常識という構図にすると、ニュアンスがおかしなことになりそうだから、
言うなれば多数派と少数派って感じでしょうか。


例えば、金曜の夜に帰ってきて、そのまま土曜の朝4時まで、
「ああでもない、こうでもない」と言いながら、おっぱいの色塗りしている人なんて少数派だと思います。
常識か非常識かで言えば、非常識な部類に入るだろうし、気持ち悪いかそうでないかで言えば、キモイでしょう。
だから、友達にはそんなことしてるなんて言いません。プライベートな部分なので隠します。ごめんあそばせってなるのです。

内面を突き詰めていくと、支持してくれるのは「本人だけ」になる

で、自分は「気持ち悪い」って感覚は、「異質なもの」に出くわしたときに感じるのかなって思います。
噛み砕いて言うなら「自分の常識の範囲外」「自分の価値観で認められないもの」に対して
気持ち悪いとか、怖いって感じると思うのです。


もちろん異質なものに出会って、感動することもあると思います。
例えば見たことのない景色を見れば「すげぇ」ってなります。
そういう意味では「異質なものイコール気持ち悪い」ということでないのは確かです。


ただ、「人の内面」ってやつは、自分自身の欲望に素直な部分なので、
そういう部分って、その人の内側の深い部分に行けば行くほど「その人の欲望MAXドロドロ」なわけで、
自己中だったり、わがままだったり、あるいは攻撃的・暴力的だったり、
人からは理解されないような好みが出てきたりする。結果的に気持ち悪く感じやすい。
多数派か少数派かで言えば少数派で、内側に行けば行くほど、「本人にしか」支持できない内容になるんじゃないでしょうか。


何が言いたいって、普段の生活ではあまり他人の内側を見る機会がないから忘れているかもしれないけど、
みんな、「他人とうまくやるため」に自分の欲望やわがままを抑えながらパブリックな自分を出しているだけで、
その裏側にはいろんなものを抱えていると思うんです。
でもって、それって見慣れないものだし、理解の範疇を超えるようなものだから気持ち悪く感じることが多いんじゃないかなと。

ブログのタイトルに「独り言」「つぶやき」が多い件

そんな中でネットというのは多くの人が感じているように、どこか閉じた感じを持っています。
しかも、ブログや日記に文章を書けば、(一応は)自分の友人知人は知られることなく、
でも見ず知らずの第三者には読んでもらえる気持ちよさがあります。
また、読んでもらえる人とも深い付き合いがあるわけでなく、しがらみなく本音を書くことができたりやめたりできます。


かくして、「こんなこと普段は言えないけれど」「誰にも言えないけれど」なんてことが書かれ、
口には出さない、心で思っていることがアウトプットされ、
いつもはやれないようなコミュニケーションや馴れ合い、罵倒や中傷がネットで展開されるんじゃないでしょうか。


だから、はてなが気持ち悪いとか、ネットが気持ち悪い、というより、
そもそも人って気持ち悪いもので、いつもは内面に隠し持っているだけで、
それが単に可視化(見える化)されているだけのことじゃないかなーと。人間の本性がさ。


ネガティブなコメントがどうのこうの言われたり、誰かにわかってもらいたいだけだろと指摘されたり、
そういう場面をいろいろとネットでは見るものですが、
でも他人を否定したい気持ちも、自分を認めてもらいたい気持ちも、人間の本心の部分だと思うし、
普段は他人に見せずにいるだけだと思うんです。


現実世界で「気持ち悪いな」と思えば、その人に近寄らないでしょうし、
類友じゃないですけど「自分にとって居心地のいい人」と付き合うので、あまり気持ち悪い場面を見ることはないんですが、
ネットは分け隔てなく情報にアクセスできるので、目にする機会も多くなるだけのことではないでしょうか。

気持ち悪いは結局、ほほえましい

ここまで「気持ち悪い、気持ち悪い」と連呼してきたんですが、
正直なところ、近頃他人に対して「気持ち悪いという感情」を持つことはあんまりなかったりします。


それってなんでだろ? って考えたときに、
1つは、自分自身がいろんな人と深い話をさせてもらえた経験がそれなりにあるおかげで、
なんというか、自分の中での常識の枠が広がっているのかなと。つまり「異質に感じるもの」が少なくなっているのかなと。
もう1つは、たぶん自分の中ですり替えを起こしているんだろなと思うんです。


「気持ち悪いこと」って、そりゃ、こっちにしてみたら気持ち悪いかもしれないけど、
本人にとっては楽しいことだったり、安心できることだったり、ありのままなことだと思うんです。
例えば「オタクはキモイ」とよく言われますが、
好きなアニメを見て、「この作画はなんだ」とか「このストーリーがいい」とか、「この声優の演技がいい」とか言ったり、
いろんなグッズを買いに行くのは、本人にとってすごくすごく楽しいことなんだろなって思います。


自分は物欲ってやつがほとんどないし、あまり何かにのめりこむこともないタイプなので、
たまに秋葉原に行ったときに、彼らを見るとちょっとうらやましかったりします。楽しそうでいいなぁと。
もう少し落ち着いて歩けよって思うけど。あと、鼻息荒いから止めなよって思うけど。
あと、電車でエロ本読むのはやめような、って思うけど。


クセだったり、振る舞いだったりみたいのも、「その人にとって、それが一番落ち着くスタイルなんだろな」って思ったりする。
自分にもそういうのってあるから、「みんな同じなんだなー」って感じたりする。


だから、なんだろなぁ、
その人の深い部分を見て、「気持ち悪い」と感じることは、たぶん正常なことだからそれでよくって。それはそれで。
だけど、その人の立場に立って見てみると、彼・彼女にとっては大事なことなんだなって思ったりもして、
すると、「自分にも大事だって思うものがあるよな」って自分と重ねることができて、
なんとなくほほえましい気分になって、気づいたらあんまり気持ち悪いと感じてなかったりするのです。


無理に理解しようとしなくていいと思う。自分と異質な存在って、やっぱり気持ち悪かったりするから。
だけど、話聞いて楽しそうな気持ちを共感できたら「いいね」って思えるんじゃないかなーと考えたりします。




とか言うと、
「うん、そうそう。そう言うよー。
 『私は理解できないけど、あなたがいいならいいんじゃない? 私は一緒にやらないけど』って」みたいに言う人もいたりして、
もー、なんでそんな余計なことまで言うかなー、きもいなーってなるけど、
一方で、きっとこの人にとっての「巻き込まれたくない面倒ごと」ってこのラインなんだろな、とか、
「いいんじゃない」って言っているけど、実は内心、賛成しきれてないんだろなって思ったりとかして、
それはそれで、その人の「大事なもの」がちょっとだけわかる気がしてくるのです。


いや、いっつもこんなことばっかり考えてるわけじゃないけどさ(笑)
ぶっちゃけ、根っこの部分じゃ、オレだって、誰だって気持ち悪いと思われるようなもの持ってるもんじゃね?と。
でも、その気持ち悪い部分って、本人にしてみれば大事なことなんだって見方もできるよ、と。
そう考えると、少なくともオレはキモイとか思わなくなるし、
どっちかっていうと、その人を知れてちょっぴり嬉しかったりするのです。