自分がどんな生き方をしたいのかも決めずに世の中の文句を言うな

【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのか
赤木さんは「富める者と貧しい者の格差はますます固定化していく」と言います。たしかに時代はそんな感じですね。
そして赤木さんは格差が固定化していくことで
「賃金の多少のみで、人間の価値が決定されかねない社会になってしまっている」のではないかといいます。


年収1000万のサラリーマンと、年収100万円のフリーターを人として平等と見ることは、本当に可能なのだろうか?
家族を養うお父さんと、30過ぎてもフリーターで働いているおじさんは、果たして同じだけの人間としての尊厳を得られているのだろうか?
最愛の正社員層のパートナーと一緒の布団で眠る女性は、リクライニングシートの上で眠るネットカフェ難民と一緒に眠ることができるだろうか?
まさか、ご冗談を。
社会は賃金の多少によって、人間を差別しながら動いているというのは、明白ではないか。
もちろん年収の多少や、それにともなう生活レベルによって人を差別しながら見ることはあると思うし、それは自然なことだと思う。
子どもを養っているお父さんは偉いと思う。
「社会的価値」という点で見れば、確かに労働力(その人の価値)の代償として賃金があるわけだから、
賃金が人間の価値を決めているというのも間違いじゃない。
でもそんなの、数十年前からそうなわけで。


しかしそこに「1対1の人間として」の価値も賃金によって決まるというのなら、そんなことはないですね。
何をもって「価値がある」とするかによって、この辺の答えは変わるけど、少なくとも人間の価値は賃金だけでは決まらないです。
言うまでもなく。

デッドラインはどこなんだ

話が少しそれますが、
この手の話を読むといっつも思うんだけど、年収がいくらかなんてそこまで目の色変えて言うことなんですかね?
年収100万の人は、年収1000万になると、900万余計に使えると思うんでしょうか。
年収1000万の生活を支えるために、余計な出費はあるし、やれることは増えるけどその分選択肢も増えるし、
あれはあれで結構めんどそうだぞ、って思うんだけどなぁ。
年収が多かろうと少なかろうと、その生活に見合った苦労と楽しさが同じだけあると思うんです。


とはいえ年収100万だと食べていくことや将来への不安なんかも出てくるので、
そこは確かにあんまり悠長なこと言えないかもしれない。
今、1人で衣食住まかなって、多少遊べて、毎月貯金も1万円ぐらいできる年収っていくらぐらいなんですかね。
都内だと250万ぐらいなのかな。地方だともう少し安くいけるって聞いたことがありますが。


個人的にはこのデッドラインさえなんとか超えられたら、あとは「自分がどうやって生きていきたいか」にかかってると思うんです。
そりゃ年収は多ければ多いほどいい。
だけど、年収増やすことに一生懸命になって、
いざ死ぬ直前になったら、貯金してきた1億円を使い切れずに終わったなんてどうかと思うんですよ。
変な話、稼いだ金額を全部使い切って死ねるかどうかが大事かなーと。


そういうことを考えると、
「自分は絵がうまくなりたいから、ビジネス書を読んだり人と会う時間を減らして絵を描く時間に回す」とか、
「年収600万あるけど、このまま右から左に仕事を流している毎日よりは、年収減ってでもやりがいを求めたい」とか、
そんな話が思い浮かぶんです。
逆に「彼女との結婚を考えたいから、正社員として働ける場所を探したい」ってジャンプアップを目指すのもあると思うんです。
年収なんてその程度の話じゃないっすかね?


もちろん年間1000万、1億稼ぐ仕事がやりたいというのであれば、やればいいし、
そんな仕事しながら絵を描くこともできるとは思うけど、そこは優先順位の問題だからねぇ。
結局、人間の時間や能力、やる気といった「投資資金」は限られてて、あれも欲しい、これも欲しいはわかるけど、
自分のやりたい生き方を決めて、そこに集中投資する方が賢くないですか?って思う。
でもって、どこに投資するかによって、その人の「人に求める価値」ってのはさまざまになるんだと思う。


オレだったらビルゲイツよりも、いつもRSSおっかけてるイラストブログの作者に会いたい。
どうやって服のしわの線を描いているのか聞きたい。その人の年収なんてどうでもいい。

マネタイズ筋肉

404 Blog Not Found:人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?
一方で弾さんは「下流の人も上流層に入れるプロセスがある(そうかんたんじゃないけどね)」と言う。
これはこれでその通りだと思う。


お金持ちになるのは難しいし、運も必要。
でもその運っていうのは「打率1割のバッター」みたいなもんで、
「最初に打てる球が来るか、10回目に来るか」といった運で、要は失敗しても続けりゃうまくいくもんだと思う。
(たいていは2、3回失敗するとやめちゃうけど)


会社を興して、年収数千万という同世代の友達と話したりします。
また、その友人が主催するパーティなんかで似たような人たちと会って、話をしたりします。
すると、「この人たちの金を生み出す発想っていうのは半端ないな!」って思わされます。
イヤな言い方かもしれないけど、何につけても現金化するプロセスを考える思考回路になってて、
自分がちょっとした「こんなアイデアどうですかね」という話すら、どこからお金を引っ張ってこれるか、
いろんな引き出しを見せてくれる。


でも、そんな「マネタイズ筋肉」も、最初からあったわけじゃなくて、
小さい事業に失敗したり、勤めていた会社がどうやってお金を生み出していたかをつぶさに見ていたり、
自分が趣味で参加していたコミュニティから、ふとしたことでヒントを得たりしながら鍛えていったものだったりします。


そういうのを見ているせいか、
「実はお金持ちになるのって、めちゃめちゃ難しいってわけじゃないんじゃないかなぁ」なんて思うのです。
彼らに「金になるビジネスを10本考えて」と言ったら5分以内に10本言える。(実際やって、うまくいくかどうかは別として)
オレはそういう筋肉や知識、経験がないから、せいぜい2本ぐらいしか思いつかない。
でも鍛えていけば言えそうな気もする。
「お金持ちになるのなんて不可能だよ」という前に、どうして不可能なのか自分の意見を見つめ直してみるのもいいかと思うのです。
意外とただ漠然と「無理だ」って思っているだけのような気がするんです。




個人的にも将来はお金持ちになりたいなって思う。南青山あたりに1回住んでみたいんですよ。
でも、今の毎日もそれなりに楽しいから今はこれでいいやって思う。
お金持ちの人たちの行動や考え方を見ながら、さらには小さなビジネスをこそこそやったりしながら、
40ぐらいでお金持ちになりゃいいやって思うし。むしろ40ぐらいからの方がいいんじゃないかって思うし。


例えば自分がしたい生き方は、こんな生き方なのです。