ニコニコ動画を「ビジネス」として成立させるなら

Dan Kogaiトラックバックで人類滅亡。

トラックバックしただけで相手ブロガーが泣いて謝った、心臓発作を起こすブロガーも ←いまここ
dankogai伝説 : 小野和俊のブログ






Dan Kogaiからトラックバックをもらったので一生懸命考えてみた。
404 Blog Not Found:ニコニ考 - 給料より安い制作費

  • アニメは中間搾取者が多くて現場にお金が全然いかないよ!
  • ニコニコ動画でアニメを見ている人は多いよ!
  • 視聴者から直接制作費をもらう仕組みを作ったらどうかな!?

と理解しました。ここでは、「ニコニコ動画でのアニメコンテンツ」に限って書きます。


ニコニコ動画の有力なビジネスプランとして、
弾さんの(しかし、弾さんって呼べばいいんだろうか?)考えは、確かに一理あるなと思った。
本音ベースが建前ベースに移れば、誰も後ろめたさを感じずに済むし、
なによりこのプランには大きな可能性がある。

1000万IDでは採算が取れないかもしれない。でも、1億IDならどうだろう

ニコニコ動画(もとい日本のアニメ)には「海外で通用する」という最大の武器がある。
これは大きい。
正直、世界のアニメ市場がどんなものか知らないけれど、
各国できっちりと「オタク」を生み出していたり、
何カ国語もの字幕がつけられYouTubeにアップされている涼宮ハルヒを見たりしても、
日本のアニメは一定以上の人気を持っているんだと感じます。


そこに海外用にローカライズされたニコニコ動画を用意する。
そして、日本での放映日とほぼ同時刻にアニメコンテンツがアップされる。
自分は日本のアニメが海外で放映されるまでのプロセスを知らないけれど、
日本での放映日から結構なタイムラグがあるんじゃないだろうか?
それが「即、見られる」ということになれば、
相当な需要があると思うんです。


コンテンツ自体のローカライズなんてめんどくさいことは考えない。
翻訳なんてコメント職人がやってくれるだろう。
なんなら字幕.inを買収してしまえ。
というか外国人に日本語覚えてもらおう。


まあ、その辺は冗談としても、
世界規模でアニメを配信できるとなれば、
実はものすごく採算が取れるビジネスなんじゃないかと思うんです。
「アニメ課金プラン」というのは。

インフラ問題

とはいえ、サーバ代でニコニコ動画がてんてこ舞いなのは周知の通りで。
それだけじゃなく、帯域の使用量が大きいから
『もう「お金払えばできる」という次元じゃなくなってきている』という問題もあったりします。
YouTubeへの“輸出”も――ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の今 (2/2) - ITmedia NEWS


この辺の話は素人レベルじゃわからない領域なので、なんとも言えないんですが、
今後、エンコード形式の改良やFlashのバージョンアップなどで、
動画の圧縮効率・転送効率があがっていき、解決することはできないだろうか。
他にもP2Pを使うとか、サーバを世界中にたてるとか、
そういった技術力に関連するコストダウンという可能性もある気がする。
もちろん、コストとリターンとの兼ね合いは難しいところでネックな問題なのは間違いないけれど、
ニワンゴの技術力で何とかしてくれると信じて、この問題は目をつぶる。

課金に対する反発

ブログのコメント欄に「運営の金集めに嫌悪感を示すユーザが多い」といったものがありました。
確かにそうかもしれないと思いつつも、実はそうでもないんじゃないかと思ってます。
理由はプレミアム会員制度が始まっても、人が増え続けているからです。
また、プレミアム会員自体も増えているという点からも、
課金プランがあってもおおむね受け入れらると考えて良いのでは、と。
嫌悪感を示すユーザは確かにいますが、ユーザ全員に課金するわけじゃないので、
そのあたりの棲み分けは、問題なく行えると考えます。


まぁ、人間、環境に変われば勝手に順応していくし、
もしかしたら、ねこ鍋の動画でのネガティブコメントは、
1人の人間が大量にやっているだけかもしれないし。


また、海外進出時にはあらかじめ「お金を払うとアニメコンテンツを見られるよ」という触れ込みで行けば、
海外の人には最初から「そういうもの」として受け入れられると思います。


1回の視聴をいくらにするのか、定額制を導入するのか、
また、一定期間は無料で、あるときから有料会員のみ見られるようにするのか、
そういった細かいことは検討の余地があるものの、
試してみる価値のある良いプランだなと思いました。

しかし、それはニコニコ動画なのだろうか。

ですが、そこで思うのです。
コンテンツを有料化して、配信して…って、
それは「ニコニコ動画」なのだろうか?と。


例えば、たらこくちびるまろゆきはこう言ってます。

「有料化は面白くするための試み。ビジネスに寄りすぎるとつまらなくなるから、ニコニコ動画を極端にビジネス寄りにするつもりはない」
「Web2.0は大嫌い」とひろゆき氏 ニコ動有料版で「もっと面白くしたい」 (1/3) - ITmedia NEWS


経験則でしかないのですが、ものごとがビジネス寄りになると途端につまらなくなる気がします。
トンガリ方が消えて、利益を追求するようになって、
去年より今年、今年より来年と売上を上げることが目的になり、
どうしても安全策寄りなビジネス展開をし始めてしまう。
静かに腐っていってしまう。
…ということを指しているかどうかはわかりませんが、ひろゆきの考えに自分はすごく賛同できるのです。




そもそもニコニコ動画の面白さってなんだろう、
ついついアクセスしてしまう理由ってなんだろう、と考えてみると、

  • 友達と一緒にテレビを見て騒いでいるような一体感
  • 想像の斜め上を行く「SUGEEEE!」コンテンツとの出会い
  • 版権物が見られる、聞ける

ということが考えられます。
そして自分の中では1番目の「一体感」こそがニコニコ動画最大の面白さだと思うのです。

お金を払って見ているアニメに、僕らはニコニコしていられるだろうか。

今、ニコニコ動画を楽しく見ていられるのは、
その動画が無料だからという要素が少なからずあるはずです。
棚からぼた餅のぼた餅がまずくても、「まあ、棚からだから」と思いますが、
お金を払って買ったぼた餅がまずかったときは、違うんじゃないでしょうか。


お金を払った以上、一定レベルのものは見せて欲しい。
すると、コンテンツに対する要求のハードルが高くなります。
人によっては「金を払った」というだけで、ものすごく要求が高まり、
コンテンツに対する意見が厳しくなる人もいるでしょう。
結果、コメントの荒れにつながると思うんです。
「つまらない」「金返せ」「それでもプロか」といったような、
荒れる、までいかないにしてもネガティブコメントが増えてしまうのではないでしょうか。


映画館でコメディ映画を見ていて、みんなと一緒に大笑いしているときに
隣に座っている人が、ぼそっと「つまんねー」と言う。
自分は、それだけで萎えてしまう。
せっかく「楽しみたい」と思っていたのに、なんだかどうでもいい気分になってしまいます。


つまり、
課金する

コンテンツに対するハードルが高くなる

ネガティブコメントの比率が増える。動画の雰囲気悪くなる。

「これだったらDVD借りてきた方がいいや」

ニコニコできない
という流れにならないか? と思うのです。




ニコニコ動画の楽しさは「お金という概念をすっぽり忘れていられる」というところに
ずいぶん助けられているような気がします。
ビジネスとしてはコンテンツメーカーを取り込んで、
ワールドワイドに展開していくというのが大正解だと思う。
でも自分は、そのときのそれが、ニコニコ動画の姿をしていることを想像できない。
ひどくおもしろみのない、「便利なWebサイト」に成り下がっているんじゃなかろうか。
(そんな想像力のなさや甘さが自分の限界なのかもしれませぬが)

だが、しかし

自分はアニヲタじゃない(と思っている)けど、日本のアニメが好きです。
カット割りのうまさや、色の使い方、絵柄、そのテクニカルなレベルの高さを、勝手に誇りに思っています。
秒速5センチメートルで舞い散る桜の花びらも、
きれいなラミエルも、
猫と戦う薬売りも、
心底、すげぇと思ってます。


そのアニメ制作の現場は、とてもひどいものだと漏れ聞いたりする。
そしたらやっぱり、「なんとかならんものか」と思ったりするよ。
中間搾取しているやつらをかっ飛ばして、直接制作者にお金を払えないのかと思いますよ。


だから、弾さんの考えはとても良いとは思うんだけれど、
けれどそれは、iTunes Storeの仕事であって、ニコニコ動画の領域じゃないと思うんです。


ホントは対案となるようなニコニコ動画のビジネスプランを出そうと思って、
1日中考えたけれど思いつかなかった(笑)
「やっぱり今のままで」というのが個人的な結論。




とりあえず自分は、
中間搾取者はむかつくけれど、少しでも作り手にお金がいって欲しいと思うので、
秒速5センチメートルとヱヴァンゲリオンは劇場でお金を払って見てきたのです。
怪〜ayakashi〜化猫」に関しては、DVDを買って貢献したいと思ってます。


(いよいよニコニコ市場を使うときが来た!)




※追記
とか思ってたそばから配信が始まった(笑)。あ、でもこれは無料配信か。
テクノロジー : 日経電子版
そして、なんかまぁ、それはそれでいいのかな?という気もしてきた。
見る人は見るし、見ない人は見ないし。それだけのことかもしれない。